プロローグでひと言觸れただけなので、詳しく語ったものは、ジョルジュ・シャルボニエ『ボルヘスとの対話』「Ⅶ 新しい文学ジャンル」鼓直+野谷文昭譯、国書刊行会、一九七八年十一月、p.124以下參照。フネスの物語を書いたのは、實際に不眠症に苦しめられてゐたのでそれから逃れようとしてだ、とボルヘスは言ふ。
それは不眠症の、忘却に身をゆだねることの困難ないし不可能性の、いわば隠喩です。というのも、眠ることはすなわち、忘却に身をゆだねることだからです。己れの自己同一性、己れの置かれている状況を忘れること。フネスにはこれができなかった。結局そのために、苦悶しながら息絶えた。
『ボルヘスとの対話』p.127
眠ることは忘れること……確かに。とはいへ、夢も見ずに熟睡する限りで、と但し書きを添へずばなるまい。夢、殊に惡夢では忌はしい記憶が反芻され、眠ってゐる間も己が過去に魘されようから。夢もまたボルヘス愛用のモティーフではあったが、とすると、我を忘れさせてくれる夢こそが求められる夢である筈だ。或いは過去でなく、夢とは「將來の夢」の意味であればよいのか。いっそ豫知夢とか夢占ひとか。ミシェル・フーコーは處女作「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」(『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅰ 1954-1963 狂気/精神分析/精神医学』筑摩書房、一九九八年十一月所收)で、かう斷じた。
夢のもつ本質的な点は、それが過去を再生することのうちにではなく、未来を予告することのうちにある。[……]それはトラウマとなった過去の強迫的反復であるよりも、むしろ歴史の予示なのである。
このくだりを引いて神崎繁は、「「過去志向的な」フロイトの「夢解釈」の理論とあえて対比することで、「未来志向的な」理解の方向性を強調する」ものだと評してゐる(『フーコー 他のように考え、そして生きるために』〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇六年三月、p.102)。考へさせられる指摘だ。――なほ、引用されたフーコーの文中「歴史」とある箇所は、荻野恒一・中村昇・小須田健譯『夢と実存』「序論」(みすず書房、一九九二年七月、p.71)では「生活史」と譯されてゐて、精神醫學の文脈ではその方が適切だらう。精神鑑定書だったら「生活歴」だ。
續けてフーコーは、「夢の構成契機になるのは、時間を通じて生成する実存、未来へ向かうその運動のうちにある実存以外にはありえないのだ。夢はすでにして、生成しつつあるこの未来であり」云々と述べてゐる。確かに、現に夢を見てゐる主體にとってそれは生起しつつあるものだらうから、「過去の生活史が疑似的に客観化されたにすぎない主体」では「ありえない」だらう。が、異議あり。夢といふものは、その最中は眠ってゐるのだから覺醒後に想起されるものでしかない。したがって、單に過去の體驗が夢に見られることがあるといふ以上に、もっと根本から、夢とは意識にとって過去のものではないか。それが、再現といふより想起に伴っていま構成されつつある過去なのだとしても(大森荘蔵流の時間論)、その限りで現存在やら實存やらに屬するにしても(實存主義式の投企)、やはり作業が後向きであることは否めない。どうしてそれを未來向きの前方投射に轉じられるのだらうか。夢を豫兆と信ずる古代人、晩年にフーコーが論じた『夢判斷』の著者アルテミドロスの如き感性の持ち主にならば、できるのか……? どうもこの邊、夢なんか見ない、イヤ見るのかもしれないが起きたらサッパリ想ひ出せず忘れてしまってゐる、さういふ散文的な現代人にとっては解りかねる。時間論の哲學に深入りすると寢覺めが惡くなりさうだから止めておく。
入手しやすいのは、中村健二譯「カフカとその先駆者たち」『異端審問』晶文社、一九八二年五月、p.162→『続審問』〈岩波文庫〉二〇〇九年七月、p.192。但し英譯版からの重譯である。ほか、土岐恒二譯「カフカとその先駆者たち」中央公論社『海』一九七四年七月號、p.230。藤川芳朗譯「カフカと彼の先駆者たち」城山良彦・川村二郎編『カフカ論集』国文社、一九七五年二月、p.279(目次でのみ「エルヘ・ルイス・ボルヘス」と誤記)。
引用したこの箇所にボルヘスは註を附してゐる。T・S・エリオット著“Points of View”(1941)pp.25-26.を見よ、と。具體的には、有名な「傳統と個人の才能」(一九一九年初出)の次の部分に當る(cf.Alice E.H. Petersen, ‘Borges's "Ulrike"- Signature of a literary life, Studies in Short Fiction, vol.33 no.3, 1996 Summer)。吉田健一譯で引いておく。
一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序
吉田健一譯「伝統と個人的な才能」『エリオット選集 第一巻』彌生書房、一九五九年三月、p.12全体 がほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。
譯文中「不思議に」は原語preposterous、前後顛倒が文字通りの意味。ほか矢本貞幹譯「伝統と個人の才能」(『文芸批評論』〈岩波文庫〉一九三八年五月→一九六二年九月改版p.10)、深瀬基寛譯(『エリオット全集 5 文化論』中央公論社、一九六〇年八月→改訂・三版、一九七六年二月pp.7-8)等と對照のこと。ここにソシュール式な共時的體系の構造論を聯想したくなるのは、構造主義以後の讀者としては無理ならぬところ(例、加藤文彦『相互テクスト性の諸相――ペイター/ワイルド/イェイツ/エリオットの「常に既に」』国書刊行会、二〇〇〇年七月、p.73以下)。兎まれこれにより、謂はゆる「傳統の發明 invention of tradition」の論は歸化英國人エリオットに萌芽し、アルゼンチン人ボルヘスが文學作品の具體例に即しつつその逆説性を高めて再提唱した、と系統づけられよう――いや、或いはこれもまた「創られた傳統」であるのかしれない……。加上説(富永仲基)としての「ボルヘスとその先驅者たち」。
ジェラール・ジュネット/和泉涼一譯「文学のユートピア」花輪光監譯『フィギュールⅠ』書肆風の薔薇、一九九一年六月、p.155。底本を記してないがより初出に近い異文と思はれるのは、G・ジュネット/倉沢充夫譯「ボルヘスの批評」牛島信明・鼓直・土岐恒二・鈴木宏編集『même/borges』〔季刊même第二號、一九七五・夏〕エディシオン エパーヴ、一九七五年七月。ジュネットの批評文が文學理論で謂ふ所の間テクスト性につながるのは容易に看て取れよう。分類魔であるジュネット自身は「超テクスト性 transtextualité」その他の造語で呼び換へてゆくけれど(和泉涼一譯『パランプセスト 第二次の文学』〈叢書 記号学的実践〉水声社、一九九五年八月)。間テクスト性とは、從來の出典・源泉・影響關係等をカッコよく言ひ換へただけの代物でなく、クロノロジカル(年代記的)な順序を解體する概念としてこそ意義がある(土田知則『間テクスト性の戦略』〈NATSUME哲学の学校〉夏目書房、二〇〇〇年五月、pp.63-66・105-116)。讀解におけるアナクロニズムもそこに關はり、共時態といふものが現時の横斷面であるだけでなくそこに過去をも含む厚みがあることが考慮されよう。しかし術語を振り回すまでもなく、えせ學者流(pseudo-scholarship)にならぬ普通の讀者階級にあっては文學史に拘泥せず新舊先後を共存させた讀み方が常識であることは、夙にE・M・フォースター『小説の諸相』(原著一九二七年刊。田中西二郎譯、〈新潮文庫〉一九五八年十月、pp.15-16)が序説でまづ前提に据ゑた所であった。時間は敵だ、むしろ新舊の作家が一堂に會して同時に書いてゐる所を想ひ描く、云々。但し、常識論に眼を開かせるには逆説を以て説かねばなるまい――G・K・チェスタトンのやうに。ニーチェ亦曰く、「眞の歴史家は衆人周知のことを未聞のことに鑄直して一般的なことをあまりに單純且つ深長に告知する力を持たねばならぬ、ために世人がその深さを通して單純さをまたその單純さを通して深さを見霽かすほどに」(「生に對する歴史の利害」六、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』p.180該當。須藤訓任『ニーチェの歴史思想――物語・発生史・系譜学――』「第二章 問題群としての「生に対する歴史の利と害について」」大阪大学出版会、二〇一一年十二月、p.91所引の譯文も參考に私譯)。
例へば、一九八〇年代半ばに『文章教室』の作家が吐いた皮肉を想起してもいい。「文学というものは、今時、流行遅れのものだし、流行遅れのことをやっている人間たちが――反時代的、などと言えば賞めすぎになる――何も知らないからと言って、驚くにはあたいしない」(金井美恵子「「私はその名前を、知らない」」『Studio Voice別冊'85 勉強堂』流行通信、一九八五年七月、pp.459-460。金井の單行本に未收録か)。既に十九世紀以來ずっと、時代の叛逆兒であることは却って天才の證、青年やら藝術家やらにとって名譽であった(例、ヴィリエ・ド・リラダンとか)。侮蔑や自卑の響きを取り戻さぬ限り、最早「反時代的」といふ言葉は賞味期限切れである。いまの時代、下記の如き惹句を空々しく感じられない者が『反時代的考察』を熱心に讀むとしたら、惡い冗談といふものだ。曰く、「反時代的とは何か。時代に背を向けているだけの冷淡な反対的態度ではなく、積極果敢な時代批判を通して未来を指向する精神。これがニーチェにおける最も美しい〈反時代的〉という意味である。[……]すべての青年たちに捧げられた青年の哲学」(『ニーチェ全集4』ジャケット裏)。
「先」の語史について詳しくは、勝俣鎭夫「バック トゥ ザ フューチュアー――過去と向き合うということ――」日本歴史学会『日本歴史』二〇〇七年一月號「新年特集号 日本史のことば」吉川弘文館、參照。サキといふ言葉の未來を示す用法は十六世紀以降に見られる新しい派生語意であり、元々中世までは時間上で過去を指す語だったことが考證されてゐる。よって、有名な土一揆の史料である柳生徳政碑文「
また言語學の阿部宏は次のやうに整理する。「空間概念の時間化について、主体は不動でその前を各事件が川の流れのようにつぎつぎに流れ去っていくイメージ(事件移動)でとらえられる場合と、主体が時間という一本道を自ら前へ前へと進んでいくイメージ(主体移動)でとらえられる場合と、主として二つの概念化がおこることが一般的に指摘されている。」
やはり空間概念が時間化された「さき」にも、以下のように過去と未来の正反対の用法が存在する。「さき」の場合は、「先端」→「空間的な前方」→「時間」であるが、事件移動のイメージでは、すでに流れ去って流れの前方にあるのが「さき(=過去)」で、主体移動のイメージでは、主体の前方の地点が「さき(=未来)」ということになり、「あと」とはちょうど対称的な関係になる。
「
「比較文法を批判してソシュールが考えたこと」岩波書店『思想』二〇〇七年第一一號「ソシュール生誕一五〇年」p.60さき (=過去)にお話しした件ですが……」/「それは、まださき (=未来)のことだ」
ジュネットも言ふ、「
「第3章 分身たち――第二部」中「4 復讐からの救済」參照。これは同書第1章p.42以下で「『反時代的考察』という標題に籠められた「
なほ、ニーチェの「反時代性」を「アナクロニスム」論につなげるものに、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏・水野千依譯、人文書院、二〇〇五年十二月、pp.36-37・178-179・338)があり、「生成の可塑性と歴史のなかの断層」の章で『反時代的考察』第二篇も扱ってゐた。反時代性そのものは觸れる程度だが、歴史のアナクロニズム化といふ著者の持論が窺へる所は興味あるもの。
文獻學と歴史學とは對象も方法も重なるし(例へば、中島文雄『英語学とは何か』「3 フィロロギーと歴史」〈講談社学術文庫〉一九九一年五月、を見よ)、事實ニーチェにあっても併稱されるが(『道徳の系譜學』「序」三、第一論文註)、しかしながら、對立させられるものでもあることは留意しなくてはなるまい。この對立にはニーチェ
なほ、レーヴィットの「ブルクハルト對ニーチェ」といふ問題設定については實證以前の豫斷に過ぎないといふ批判もあるものの(浅井真男「ブルクハルトとニーチェ」『史境』第一號、歴史人類学会(筑波大學)、一九八〇年九月)、齋藤忍隨を併讀するとやはり兩者の相違における對比は有意義に思はれる。
以下など見よ。「結果であるものを原因ととることによって」……「原因と結果をとりちがえる」……『人間的、あまりに人間的な』三九・六〇八。「哲学者に関する著作のための準備草案」中「一 一八七二年秋および冬から」『哲学者の書 ニーチェ全集3』ちくま学芸文庫版pp.308-311。詳しく論じたのは『偶像の黄昏』中「四大誤謬」の章。……他に?
かうしたニーチェによる因果性批判を、柄谷行人は「遠近法的倒錯」といふ呼び名で弘めたものだ。早くは『日本近代文学の起源』の「Ⅰ 風景の発見」(初刊一九八〇年八月、講談社文芸文庫版p.45)にニーチェが言ったとしてこの語が持ち出されてゐるが、『内省と遡行』の標題論文中「序説」(一九八五年初刊、講談社学術文庫版p.11)で「ニーチェのいう「結果を原因とみなす」遠近法的倒錯」といふ風に特に因果顛倒のこととして述べられ、『探究Ⅱ』「第九章 超越論的動機」(一九八九年六月初刊、講談社学術文庫版pp.220-221)では「系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐり出すこと」と説かれる。また「そのことを最初にいったのは」スピノザであるとして、『エチカ』からの引用を掲げてゐる(同前pp.225-226)。ところでしかし、引用符で括られてゐるが「遠近法的倒錯」といふそのものズバリの言葉はニーチェに見當らない。「結果の代りに由來。なんといふ遠近法の反轉!」(『善惡の彼岸』三二。信太正三譯『善悪の彼岸 道徳の系譜 ニーチェ全集11』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年八月、p.68該當)といふ箇所で、どうだ? だが、このUmkehrung der Perspektiveを遠近法的倒錯と譯した邦文があったのかどうか、あっても果して適譯か。第一これは「結果を原因とみなす」のでなく逆、由來(Herkunft)を結果(Folgen)の代替にしてゐる。ニーチェ全集を繙くと、結果を原因と見做す遡及方向の逆轉でなく原因を結果と捉へる向きの誤謬を論じた箇所も散見する。例へば、「年代記的逆転」のため「原因があとになって結果として意識される」ことを述べ、さうした誤認を「文献学の欠如」と名づけた遺稿……尤もその斷章中では「結果がおこってしまったあとで、原因が空想される」とも説き、何だか循環端無きが如しであるが(『權力への意志』四七九、原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十二月)。柄谷の引例にあるスピノザも「目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」と雙方向で論じてゐた。それにニーチェの場合、原因・結果といふ單語でなく「意圖」や「目的」といふ概念を俎上に載せた所が多いかも。といふことで、「遠近法的倒錯」といふ成句、特にその意味を結果を原因に代入する方向に限るのは、ニーチェでなくそれを發想源とした柄谷行人の創意に歸する方が良ささうだ。實際
三島憲一「初期ニーチェの学問批判について――ニーチェと古典文献学」氷上英廣編『ニーチェとその周辺』朝日出版社、一九七二年五月→三島憲一『ニーチェとその影 芸術と批判のあいだ』未来社、一九九〇年三月→増補『ニーチェとその影』〈講談社学術文庫〉一九九七年九月、p.20。曰く、「しかし、何か不動なもの、時間の流れにかかわらず確固として不動なものによって自己を測るというだけでは、なにほどのこともなかろう。[……]偉大な過去によって現在を理解し、未来の指針を探ろうとするのは、ごく自然なことであろう。というよりも、正確にはまさにそれが市民社会における文化的正統性の追求にいわばつきものの営みであった」。むしろさういふ正統性を懷疑したのがニーチェであり、なぜなら規準となる過去といふのも現在から理解した像に過ぎないからで……と三島は讀んだ。誤解ではないものの、的を逸れてないか。問題となる文獻學的アンチノミーの文の流れは逆であった。三島譯ではかうだ、「事実問題として人は古代をいつも現代からのみ理解して来たのである。――そして今度は古代から現代を理解しろというのだろうか」(前掲p.19)。語調は變へられたが、まづ現代からの理解を前提に擧げそれに對し古代からの理解を要請するといふ順序は搖るがない。ムザリオン版でなくグロイター版全集に基づく別譯でも同樣、「実際は、つねにただ
なほ、ニーチェ前後のドイツにおける文獻學については西尾幹二『ニーチェ 第二部』(中央公論社、一九七七年六月→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇一年五月)も調べてゐるが、むしろそこで擧げられ斎藤忍随も依據してゐたヴェルナー・イェーガー「文獻學と歴史學」に食指が動く。
解釋學派からは異論もあらうが、ジークフリート・クラカウアーがH・G・ガダマー『真理と方法 哲学的解釈学の要綱』(轡田収ほか譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、Ⅰ・一九八六年八月/Ⅱ・二〇〇八年三月)を批判した言は當ってないか。
かれは真理判断の試金石を外部に求めずに、歴史の連続性を聖別し、アクチュアルな伝統を聖化する。だがこのやり方では歴史は狭い閉鎖的体系になり、ヘーゲルの金言「現実的なものは理性的である」と同様に、見失われた原因や実現されなかった可能性を閉め出してしまう。成功のストーリーとしての歴史――ブルクハルトだったら現代の解釈学の基礎にあるこれらの命題を、決して承認しなかったであろう。
平井正譯『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』せりか書房、一九七七年九月、p.264
これは、歴史主義問題とその從來の解決案を檢討した中での評である。クラカウアー自身は、檢討した超越論的ならびに内在論的解決(ガダマーも後者)のいづれとも異なる命題に移行すると告げ、兩解決法は二者擇一でなく竝存に代るべきなのだと言ふ。
わたしの命題の立場から見ると、哲学的真理は二重の様相を持っている。超時間的なものは時間性の痕跡を免れ得ず、時間的なものは超時間的なものを完全には包摂しない。われわれはむしろ真理のこの両様相が並行して存在し、わたしが理論的には定義できないと考えるようなやり方で、相互に関係づけられていると仮定する他はない。それに近い類例は量子物理学の「相補性問題」に見いだし得るであろう。
同前p.266
理論で定義できないやり方と言ひ、「
佐藤信夫企劃・構成/佐々木健一監修『レトリック事典』「1-7-1-2 《交差呼応》」(大修館書店、二〇〇六年十一月、p.106)參照。これは形式上から見た場合の分類で、内容から見ると意味論上の矛盾を利用した
技法と別に文法の相から語彙を分析すれば、ギルバート・ライル『心の概念』(坂本百大・井上治子・服部裕幸譯、みすず書房、一九八七年十一月)に倣って、「想起する/想ひ出す remember」は達成動詞(achievement verbs/到達動詞)、「想像する/想ひ描く imagine」は仕事動詞(task verbs/從事動詞)として對比する手がある。仕事動詞が單に遂行自體を表はし成否を問はぬのに對して達成動詞はその行爲の結果・成果までを含意するもの、從って、心内だけに終始してもよい「想像する」と違ひ「想起する」は心の動きが志向先に首尾良く到達してゐなくてはならない。實際「Aを想起したが、想起が外れた」とは言へまい、それは想起になってないと言ふべきだらう。想起對象Aが存在しなくては想起の成立條件が滿たせない、想起される目的語(對象)の現實性が動詞の意味・文法上から要請される、といふわけ。この動詞區分を應用した時間論の哲學として、中島義道『時間論』「第六章 幻想としての未来」〈ちくま学芸文庫〉筑摩書房、二〇〇二年二月、pp.216-217)及びその精解である入不二基義『哲学の誤読――入試現代文で哲学する!』(〈ちくま新書〉筑摩書房、二〇〇七年十二月、第三章p.182以下)參照。特に入不二著は第二章が本文前掲の永井均「解釈学・系譜学・考古学」の解説でもあり、參考になる。
なほ、このネイミアの逆理をイギリス史研究者近藤和彦は「過去に想像力をはたらかせ、未来を忘れない(imagine the past and remenber the future)」と譯してをり(近藤著『文明の表象 英国』「序」山川出版社、一九九八年六月、p.24)、日本語としてはこの「忘れない」の方が自然かも。これを含む節は「2 過去を想像し、未来を忘れない」と題されてもゐる。但し、そこに附された註38には「カーの引用するネイミアの言」とあって、原文脈を見ない孫引きのやうである。しかもその引用の前後や、同書「結」での「わたしたちはヴァレリとともに、「後ずさりしながら未来に入ってゆく」」(p.232)と述べる邊りを見ても、この語をE・H・カーに寄り添ってあまりに前向きな未來志向に捉へてゐる。「ネイミアの生涯と歴史学 デラシネのイギリス史」(近藤ほか編『歴史と社会 11 英国をみる 歴史と社会』リブロポート、一九九一年一月)にてネイミアを保守主義の歴史研究と結論した近藤にして、ネイミアを進歩主義擬きにしてしまって怪しまぬとは――それほどにも前進偏向のしがらみは脱し難いのか。
ここに原注312が附されてゐるが、311と參照先の指示が入れ違ってゐるやうだ。即ち312で「『反時代的考察』第三篇「教育者としてのショーペンハウアー」、三、四」を指示するが、311が仝「「生に対する歴史の利害について」、緒言」を擧げてゐ、註が附いた箇所の本文内容と合せるには入れ替へねばならない。先行の足立和浩譯『ニーチェと哲学』(国文社、一九七四年八月)も見るに、同書p.160に附された第三章原註(90)に該當するが、やはり(89)と指示内容が前後してゐる。すると誤りは原書からか。しかし邦譯者二人ともニーチェ全集との照合くらゐしたらうに、なぜ註記もせず間違ひのまま引き寫してあるのやら解せない。
なほ、「權力への意志」とニーチェが言ふその權力(乃至は力)を河出文庫版で「力能」と譯すが、フランス語puissanceに哲學用語で可能態の意味があるのを含ませたと見える。さういふ態、
田村俶譯『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社、一九七七年九月)p.35該當だが、誤解の餘地があるので譯文を私に改めた。これについてはprospero氏のサイト『STUDIA HUMANITATIS』の掲示板である「口舌の徒のために」でフランス語原文からその譯し方まで大いに教示を受けた。一往、田村譯では下記の通り。
こうした[……]監獄についての、私は歴史を書きあげたいと思うのだ。それはまったくの時代錯誤によって、であろうか。私の意図を、現在の時代との関連での過去の執筆であると理解する人には、そうではない。だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。
*8前掲レーヴィット『ヤーコプ・ブルクハルト』p.28及び瀧内槇雄「文庫版あとがき」p.547、斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ」pp.55-56、參照。ついでだから、前掲クラカウアー『歴史』(p.274)による魅力あるブルクハルト像をも掲げておく。
ブルクハルトはもちろん専門家であったけれども、かれは自分の好みに従うアマチュアのような態度を歴史に対して取っている。かれはただ、自分の内なる専門家が、歴史は科学ではないことを深く確信していたから、そうしたのである。「大ディレッタント」、ブルクハルトはある手紙のなかで自分をそう呼んでいるが、これが歴史を適切に取り扱うことのできる唯一のタイプであるように見えるであろう。専門家がアマチュアのなかから生まれることは知られている。だがここでは一人の専門家が、その特殊な主題のために、アマチュアに留まることを固執している。
また、歴史家としてのウェーバーのディレッタント性に注目した犬飼裕一『マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開』(ミネルヴァ書房、二〇〇七年七月)も參考になる。レーヴィットによるブルクハルトとニーチェの論じ方への批判なども含め、面白く讀めた。
ミシェル・フーコー/伊藤晃譯「ニーチェ、系譜学、歴史」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅳ 1971-1973 規範/社会』筑摩書房、一九九九年十一月所收、に據る。同譯文に「現出」とされたEntstehungを「發生」に改めたのは、榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』(〈洋泉社新書〉二〇〇〇年五月、p.49以下)にも「発生をとらえる系譜学」に就て述べられたのが見られるし、それが獨和辞典でも普通の譯語だからに過ぎない。フーコーが註記に示した該當箇所を邦譯『ニーチェ全集』と照合した限りでも「現出」といふ譯語は當てられてないやうだ。因みに、Ursprung(起源、根源)とEntstehung(發生、成立)とを對立させる用語法はヴァルター・ベンヤミンにも見られ(浅井健二郎譯『ドイツ悲劇の根源 上』「認識批判的序章」〈ちくま学芸文庫〉一九九六年六月、p.60)、とはいへ前者「
野暮は承知で言はずもがなの註釋をしておくと、各節の見出しは引喩(暗示引用)である。順に出典は、『アルジャーノンに花束を』『地獄の季節』『遅れてきた国民 ドイツ・ナショナリズムの精神史』『つゆのあとさき』『論語』『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』『歴史家の同時代史的考察について』『プルウスト全集 失はれし時を索めて』『同時代も歴史である 一九七九年問題』『いつまでも前向きに 塵も積もれば…宇宙塵40年史 改訂版』。もぢっただけ、必ずしも内容と關はらず。