ニーチェ『反時代的考察』は全四篇から成るうち第二篇が一番興味ある。「生に對する歴史の利害について」と題するその本文冒頭、まづ、來ては去る刹那刹那を非歴史的に生きる動物の
別にフリードリッヒ・ニーチェからホルヘ・ルイス・ボルヘスへの影響といふ比較文學講義をしたいのでないから、偶合であっても構はない。むしろ逆に我々後世の讀者は、小説「記憶の人フネス」に觸發された評論として「生に對する歴史の利害について」を見出すことができるのであり、ボルヘスとそれに先行するニーチェとを共に「われらの同時代人」として併讀する愉しみを得るわけだ。屡々言及されるボルヘスのカフカ論の一節――「作家はそれぞれに自分の先駆者を
ニーチェの第二反時代的考察でも、熱っぽい
諸君が伝記を望むならば、「某氏とその時代」という繰り返し文句をつけた伝記ではなく、扉に「その時代に逆らう闘士」と書かざるをえないような伝記を望み給え。
前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』p.182
小さくも、歴史性を感じ取れる箇所だ。今もよくある「誰それとその時代」式の題名が早くも一八七四年に陳腐な
この原書名unzeitgemässe Betrachtungを曾て生田長江譯では「季節はづれの考察」とした(新潮社版『ニイチエ全集 第十編』一九二九年一月→「季節外れの考察」日本評論社版『ニイチェ全集 2』一九三六年四月)。一九〇九年刊の英譯書名も“Thoughts Out of Season”であった。形容詞unzeitgemäßを獨和辭典で引くと、時代に合はぬ、當世風でない、狂ひ咲きの、舊式な、といふ程の語義である。が、ニーチェの場合は同時代に向かってのもっと積極的な批判であるが故に「反時代的」と譯すのが現在の定説、ださうな(小倉志祥「解説」前掲『反時代的考察』pp.498-499)。といふことは、そんなニーチェ尊崇の念を差っ引いたら、「時代後れな觀察」と反譯してしまってもあながち
ドイツ語の文脈で考えれば、altmodisch(古風な)とかfuturistisch(未来派的な)といった語が、現代の流行に対するいわば対案としての積極的な意味を持ちうるのに対して、unzeitgemäßという語は時代に単にずれている、ということを意味するに過ぎない。Betrachtungenは、Betrachtungの複数形で、単数形のBetrachtungは、「観察」を意味する。複数形で用いられる場合には、「考察」をも意味するが、それでもBetrachtungenという語で含意される「考察」とは、考察に具体的対象を要求する性質の考察であろう。つまり単なる抽象的思弁とは異なる。そのことを意識した上で、ということならば、「考察」という訳語を用いることに無理はない。そうすると、連作集のタイトルは、直截に訳せば、原田義人の訳を現代表記に改めて『時代はずれの考察』とすべきではないか。
守矢健一「初期ニーチェの学問批判の一局面」
原田義人著譯書で管見に入った限りはみな「反時代的」としてあったが、「時代はづれの考察」といふ譯し方は、夙に三木清『歴史哲學』第六章(一九三二年初刊→『三木清全集 第六卷』岩波書店、一九六七年三月、p.258)にも見られた。「反時代的」とする意譯を主張した言ひ出しっぺと目される阿部次郎なぞ、「彼[ニーチェ]のunzeitgemässの態度は眞正面から時代を對手とする、自ら正しとする自信によつて眞正面から時代に働きかけて行く。これを「時代外れ」といふやうな、自嘲と皮肉の響を帶びた側面的言語に譯することは當を得ない」とまで息卷いてゐたけれど(「『悲劇の誕生』――その體驗及び論理」初出一九三一年一月→『文藝評論第二輯 世界文化と日本文化』岩波書店、一九三四年四月、p.14→『阿部次郎全集 第九卷』角川書店、一九六一年九月、p.23「時代はづれ」)、マアさう一面觀で逸り立たずに、物事は多面的角度から立體的に眺めて戴きたい。因みに、その後の英語版ではUntimely meditation(1983)とかUnmodern observations(1990)、Unfashionable observations(1995)等とも譯され、フランス語譯ではConsidérations intempestives(1954)と題した譯者(Geneviéve Bianquis)も後にConsidérations inactuellesに改めてゐてその方が通用の譯題らしい(inactuelleのことは後述する)。
時宜に適はないとか非時代的だとかいっても、時間には進んだのと後れたのと二通りある筈。世のニーチェ宗は豫言者氣取りゆゑ前者だらう。ところが同樣のアナクロニズム(時代錯誤)といふ類語でも、後世の事物を前代に混入する時代設定上の喰ひ違ひ(つまりそこだけ時期尚早になる進みすぎ)を指す用法もあるものの、時流に逆行とか時勢に後れてゐるとかいった意味の方が強く、專ら貶辭として用ゐられる。當然だ、少數の先覺はいざ知らず、時世の移り變りに追隨する大衆は反應が遲れがちにならうから。
そこに、歴史は後向きに前進するといふ
ヴァレリーの方の出典に當ってみると――折角だから舊譯でも引いておかう――、「嘗て他處でも申したことですが、われわれは後ろ向きに將來にはいつて行くといふことが、私には餘りに感じられるのです」(佐藤正彰譯「歴史的事實」『精神について 1 ヴァレリイ全集Ⅶ』筑摩書房、一九五〇年六月、p.255、傍線部は原文傍點ゴマルビ)といふ風に既出の語句として自家引用してゐる。遡って前例を探すべきであらうが……全集カイエ篇まで通覽させられては堪らない、
そもそも「後ずさりしつつ」あるいは「後ろ向きに」の意味のフランス語á reculonは熟語であり、「後退する」「退く」「しりごみする」「たじろぐ」という意味を持つ動詞reculerに由来する。この「後ずさりしつつ未来へ」reculons á l'avenirというフレーズにおいては、「前進」するのではなく「後退」するということを示すところに力点が置かれているのだが、このフレーズには、移動の方向を示すのみならず、一種の「しりごみ」や「たじろぎ」、躊躇の気配が漂っていることも確かである。
安永愛「〈我ら、後ずさりしつつ、未来へ〉―ポール・ヴァレリーの時間意識とその射程―」pp.58-59
迂回になるが、いささかアナクロニズムについての説明を插むとしよう。その項でわざわざ「英語の anachronism は, 単に「時代遅れ」にかぎらず, 過去の時代に現代の事物を持ち込むような状況設定を指摘するときにも用いられる」と注意する辭書もある(『新和英大辞典 第五版』研究社、二〇〇三年七月)。この語の本來の意味でのアナクロニズムを、テクスト讀解の心理として外山滋比古は取り上げた。
[……]現在、かくかくであるから、というので、それを過去の中にもち込む歴史的に「身勝手な」解釈をアナクロニズムと呼ぶのである。シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を読むと、エリザベス朝英国風俗のローマ市民が登場したり、ローマにはまだなかったはずの時を打って報ずる時計があらわれたりするが、これがすなわちアナクロニズムである。
「「場」の錯覚」『近代読者論』みすず書房、一九六九年二月、p.295
單に訂正すべき過失なのではない。時間の隔った過去の事物は最早その儘では了解しきれないので現在の我々の考へ方を補充して解釋してやらねばならない、さうした主觀の導入によるアナクロニズムは歴史の理解につきものだ、と外山は説く。
現在を過去にもち込むことがアナクロニズムであるが、逆に言えば、古いものを生き生きとよみがえらせる効果をもつものでもある。過去を眼前に彷彿たらしめるもっとも素朴な方法の一つがアナクロニズムである。ローマ人がトーガを着て、ラテン語を話していれば、それはシーザーのローマには忠実であるかもしれないが、イギリス人には判らないものになってしまう。それを同時代の風俗・言語で表現するからこそ、芝居が生きて来るのである。
文法に「史的現在」という語法がある。過去の出来事などの描写を躍如たらしめて、読者の興味を高めるために、本来ならば過去の動詞が用いられるべきところへ、現在形を用いて表現するのがこの史的現在である。これはアナクロニズムが語法となって定着したものであると考えることができる。
同前pp.303-304
シェイクスピア劇で古代を舞臺とするものに「その時代にはまだ存在しなかった事物が描かれること」については、「これを「時代錯誤」として指摘する意識は近代以降のもので、一六世紀から一八世紀頃までは、むしろ異なる時代の存在が多層的かつ同時的に享受されていたとも言える」(「アナクロニズム」川口喬一・岡本靖正編『最新 文学批評用語辞典』研究社出版、一九九八年七月)。本邦江戸期に於る歌舞伎の時代物とて同樣で、時代考證に神經を遣ふやうになったのは明治以後に活歴や史劇と稱してからであらう。近代人の認識で以て未だその意識が無かった時代の歴史物語の錯誤を指彈するのはそれもまたアナクロニズムになる……。近代的な史料批判は十五世紀ルネッサンスの人文主義者に先蹤が求められ、僞文書の矛盾摘發のため用語法(時代差がある筈)に着目して「アナクロニズム〔時間的錯誤〕を歴史分析のひとつの道具に利用したことはじつにひとつの転回点を画するものであって、計り知れない重みをもつ知的事件であった」(カルロ・ギンズブルグ『歴史・レトリック・立証』「第二章 ロレンツォ・ヴァッラと「コンスタンティヌスの寄進」」上村忠男譯、みすず書房、二〇〇一年四月、p.94)。さらにランケ流の近代史學が伸張し各時代ごとの史實をあるがまま尊重すべきことになると、現在を過去に投影する遡及的アナクロニズムが意識されて拂拭されゆく。だから、それと逆向きで前代の遺物を現代に引きずる時代後れといふ意味での跛行的アナクロニズムばかりが目立って殘ることになるのだらう。いや、遡及式のそれとて
引用後段の、過去を現在化する歴史的現在(the historic(al) present)といふ
ひとまづ『レトリック事典』(3-16-2-2、pp.548-551)に從ってアナクロニズムを「時代混交」と總稱するなら、遡及的なと呼んだ方には「未来混入 prochronisme」「前進的時代混交 anachronisme progressif」、跛行的と呼んでみた方には「過去混入 métachronisme, parachronisme, catachronisme」「後退的時代混交 anachronisme régressif」といった術語が用意されてゐる。譯語を與へられた原語について佛和辭典を引くと、prochronismeは「(歴史的事実について)実際の時日より前に起ったことにする誤謬」、métachronismeは「年代錯誤(ある事実の年月日を実際よりも後らせて記載する歴史上の誤謬)」、parachronismは英和辭典に「時日後記《年代や年月日を実際より後に付けること》」などとある。だが……いささかの途惑ひ。遡及すると前進的だとは、こは如何に。後退的と稱する方が時間の進行方向に沿って延長してゐるが? 前と言っても、以前の意味なら過去だが前途なら未來である。後(ウシロ/アト)とは、向後の意味なら未來だし背後に振り返る來し方なら過去となる。「「先に延ばそう」という言葉と、「さきの関白太政大臣」というのは、同じ言葉を前後両方使っている。だからそれは空間表象を時間に適用する時に、必ずしもユニバーサルな対応がないんじゃないか」(川田順造・坂部恵編『ときをとく 時をめぐる
「シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』に時計が出てきたり、『アントニーとクレオパトラ』にビリヤードが出てくるのは、おそらく単なる認識の誤りだが、意図的に使われた、つまりレトリックとしての時代混交」になると、「19世紀までのレトリックの書物には出てこないように思われる」、と『レトリック事典』も述べる。「この技法は厳密な歴史認識を前提とするが、そのような認識法が西洋において確立するのは19世紀末頃のことである」。未來混入・過去混入といふ二種の下位分類のうち、「普通に「アナクロニズム」と呼ばれて非難される認識」である後者より「文学的な《時代混交》が《未来混入》に偏っている」といふのも*6、それが歴史學的實證主義(positivism)に否定されたアナクロニズムを逆手に取った文彩であるゆゑだらう。敢へて積極的(positive)に過去に介入してみせるわけだ。それに對し消極的ではあれ、過去からの作用に受け身で時代後れで後向きであるアナクロニズムも儼存するのに、そちらの方を徹底する事はまだ弱いと見える。いっそ否定的(negative=消極的)であってこそ「反時代的」であらうものを。
さて、ニーチェが「反時代的」であり得た所以は古典文獻學者(klassischer Philologe)だからだ、と自稱されてゐた。「生に對する歴史の利害」緒言末尾を、斎藤忍随の譯文(「フィロローグ・ニーチェ――ニーチェ・コントラ・ブルックハルト――」『幾度もソクラテスの名を Ⅰ』みすず書房、一九八六年十一月、p.59所引)で見ておく。
現代の子でありながら、私がこのように時代離れのした経験をもつようになったのも、もとはと言えば私がより古い時代の弟子、とりわけ古きギリシアの教え子であるためにすぎない。私としてはそのことだけはクラッスィッシェル・フィロローグという職掌からいってもどうしても断っておかなければならないのである。というのはクラッスィッシェ・フィロロギーが反時代的に働き、時代に逆らって活動し、それによって時代の上に働きかけ、できれば来るべき時代のために働くという意味をおいてどのような意味を現代にもっているかを私は知らないからである。
“Anachronismen”(2003)と題する論集中、第二論文が正に右の結文を引用してゐる(Wilhelm Schmidt-Biggemann‘Geschichte, Ereignis, Erzählung. Über Schwierigkeiten und Besonderheiten von Geschichtsphilosophie’S.29)のがGoogleブック檢索によって知れ、アナクロニズムの一種としてunzeitgemäß(反時代的)を取り上げた節みたいだが、それ以上はドイツ語に文盲な身では解らない。アナクロニズムに重ねられることの傍證にはなるか。なほ、この緒言で「望むらくは将来の時代のために」(小倉志祥譯、ちくま学芸文庫版p.121)とあるやうな前向きな姿勢については、關心無いので度外視する――と言って惡ければ、「括弧入れ」して還元する。ここに綴るのはアナクロニズムをめぐるノートであってニーチェ論でないから。時には「ニーチェ」に逆らひてニーチェを讀むべし。……ところで、かの擬ゾロアスター書は「後ろ向きに欲すること zurückwollen」を教へなかったか?(第二部「20 救濟について」23・33・46節、吉沢伝三郎譯『このようにツァラトゥストラは語った 上 ニーチェ全集9』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年六月pp.254-257「後戻りして意欲すること」) その章を解説して村井則夫『ニーチェ――ツァラトゥストラの謎』(〈中公新書〉二〇〇八年三月、p.215)が「
ニーチェは『反時代的考察』の續篇に「われら文獻學徒 Wir Philologen」を構想してゐたが、草稿のまま完成せずじまひだった。その遺稿で興が湧くのが、次のやうな章句である。
古代に関する学問としての文献学は、勿論、永久的な持続性をもつものではない、その素材は汲み尽くされるのである。汲み尽くされ得ないものは、古代に対する各時代のいつも新しい適応ということ、古代に則った自己測定ということである。文献学者に対して、古代を媒介として
渡辺二郎譯『哲学者の書 ニーチェ全集3』「Ⅷ 「われら文献学者」をめぐる考察のための諸思想および諸草案」〈ちくま学芸文庫〉一九九四年四月、p.460自己の 時代をより良く理解するという課題が、立てられているのであるならば、文献学者の課題というものは、永遠的なものである。――これが、文献学のアンチノミーなのである、すなわち、古代 というものは、事実上はいつも、現在からして のみ理解されたのである――しかして実は、古代からして現在が 理解さるべきなのではないのか?
大事なのは後半、「古代」と限ってあるのを過去全般に置き換へれば、この認識論は歴史學の
つまり、ユマニストの教育は、これまでローマおよびギリシアについて、われわれの時代とあまりにも類似したイメージを描くことをわれわれに習慣づけてきた。しかし、比較は、民族誌学者に用いられることによって[フレイザー『金枝篇』を指す]、一種の精神的衝撃をもって、過去についての完全に健全な理解には不可欠の条件である〔過去に対する〕異質感、
マルク・ブロック/高橋清徳譯『比較史の方法』〈創文社歴史学叢書〉一九七八年十二月、p.8異国感 をわれわれに復活させた。
この文獻學的‐歴史學的アンチノミーの二命題のうち、現在から過去を理解することは、原因と結果の取り違へとして屡々ニーチェが批判した因果性の錯覺に通ずる*9。遡及的アナクロニズムと言ってもよい。「今文を以て古文を視、今言を以て古言を視る」(荻生徂徠『辨名』下「學九則」八)と責める迄のことなら、文獻學者でなくとも先刻承知だらう。ニーチェには「過去へと働きをおよぼす遡及力」を是認したアフォリズムもあって、曰く、偉大な人物が現れると改めてそれと照らして隱れた歴史が見出される、よって「過去はおそらく今もってなお本質的には未発見のままなのだ! なおも非常に多くの遡及力が必要である!」とか(信太正三譯『悦ばしき知識 ニーチェ全集8』三四、〈ちくま学芸文庫〉一九九三年七月、pp.104-105)。――では他方、逆向きの、過去から現在を理解するとは? 物事の今日あるは既往の經緯から生じ來ったことを知れと言ふのか(そんなの當り前過ぎるだらう)。是古非今、往昔の偉大な時代を規範にして今の世を評定する古典主義なのか(三島憲一*10の解釋――それぢゃまるで單なるアナクロだ)。自我作故、我より
アンチノミーの第二命題は第一命題と組み合せた上で
歴史的遡行の重要性が再認識される。だがそれは、現在の自分がおこなう歴史認識の公正さと客観性を疑わずに、それを前提として過去に視線を向けるのではなく、現在の自分が向ける過去へのその視線が歴史的にいかに成立したかを知るために過去に視線を向けるという、視線変更がなされたうえでの歴史的遡行である。
永井均『これがニーチェだ』〈講談社現代新書〉一九九八年五月、p.73
右に言及された『人間的、あまりに人間的な』で該當するのは、歴史的に哲學せよと述べた本文「二」か。「あらゆる哲学者は、現代の人間から出発して、その分析を通じて目標に達すると思いこむという共通の欠陥を身につけている。」……「歴史的感覚の欠如があらゆる哲学者の欠陥である」……「彼らは、人間が生成してきたものであることを、認識能力もまた生成してきたものであることを、学ぼうとしない」云々(池尾健一譯『人間的、あまりに人間的 Ⅰ ニーチェ全集5』〈ちくま学芸文庫〉一九九四年一月、pp.26-27)。ここで歴史とは持續や繼承よりも變化の謂、
ただ、このやうに文獻學的‐歴史學的アンチノミーを敷衍する場合に注意が要るのは、解釋學的循環と似て非なるところ。平板に均した表現で、曾ての著名な歴史學者は言ふ。
とすれば我々はここで一つの循環論法に陥る危険性がある。歴史とは何か。それは現代の生活意識によつて成立する。しからば現代の生活意識とは何か。それは歴史によって証明されなければならない……。これは実際に歴史を論ずるものが常に陥るところのディレマである。
林健太郎『史学概論』「むすび」〈教養全書〉有斐閣、一九五三年五月、p.236
この
時間経過というものを素朴なかたちで表象すると、いま鳥がたしかに青いとして、もともと青かったか、ある時点で青く変わったか、どちらかしかないことになるだろう。それ以外にどんな可能性があろうか? しかし、解釈学と系譜学の対立が問題になるような場面では、そういう素朴な見方はもはや成り立たない。もともと青かったのでもなければ、ある時点で青くなったのでもなく、ある時点でもともと青かったということになったという視点を導入することが、系譜学的視点の導入なのである。
「解釈学・系譜学・考古学」野家啓一責任編集『【岩波】新・哲学講義 ⑧歴史と終末論』一九九八年八月、p.215、傍線部は原文傍點ゴマルビ
現在の自己を疑ひ、そこに歴史の捏造や記憶の虚僞を見出し、その誤謬の成り立ちを探究するのが系譜學だ、と。ネガティヴな解釋學、なのか? いや、問題はその先にある。
だが、「ある時点でもともと青かったということになった」という表現には、本来共存不可能なはずの二つの時間系列が強引に共存させられている。「もともと青かった」と信じている者は「ある時点で……になった」と信じる者ではありえず、「ある時点で……になった」と信じる者は、もはや「もともと青かった」と信じる者ではない。だから、「ある時点でもともと青かったということになった」と信じる者の意識は、解釈学的意識と系譜学的認識の間に引き裂かれている。統合が可能だとすれば、それは系譜学的認識の解釈学化によってしかなされない。系譜学的探索が、新たに納得のいく自己解釈を作り出したとき、そのとき系譜学は解釈学に転じる。
「解釈学・系譜学・考古学」同前p.216
同時には現れ得ない筈のものの併存、別の時間に屬すべきものの混在、掛け違った時系列の共起は、アナクロニズムである。この時制の重層した命題、この分裂した二重論理にこそ系譜學は宿り、それでこそアンチノミーといふものだ。カント用語で引き取るなら、現在から過去を理解してゐるのは事實問題だが、そこに、過去からして現在が理解されるべきではないのかといふ權利問題が絡まってくるのが要所か。錯綜を整理するあまり自己理解に自足するならば、解釋學的惡循環に陷るだらう。
ましてや二律背反の入り組んだ理路を、歴史とは現在と過去との對話であるなんて平べったい言ひ方にしてしまった日には、E・H・カー『歴史とは何か』(清水幾太郎譯、〈岩波新書〉一九六二年三月、p.40・47・78・184)で話は濟むことになる。「E・H・カーの言いたいのは、要するに、現在人が自分なりに過去を解釈し、理解しようとすることによって、そこからまた自分の考えをあらたにし、現代をとらえ直せということだろう――誰しもがいだくにちがいないこの受け取り方は、表面的には一応もっともなのだが、じつは根柢において誤っている」(木村尚三郎「歴史的思考と現代――または対話の精神について――」堀米庸三編『学問のすすめ11 歴史学のすすめ』筑摩書房、一九七三年五月、p.20)。それでは故らに反語的な表現でアナクロニズムなどといふ概念を掲げるまでもない。『歴史とは何か』中「ネーミアは、わざと反語的な言い方[……]で、歴史家は「過去を想像し、未来を想起する」と言っております」(p.182)といふ一節があるが、進歩派カーが眞正の保守主義者と認める(同前p.51)微視の史學者ルイス・ネイミアには、敢へて捻くらないでは語り得ぬやうな屈折した考へがあったらうことも察して貰ひたい。「ネイミアは、一見無関係なことを、倦むことなく捜し求めた。「実際かれは、自分の全生涯を脇道で過した」」(クラカウアー『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』*11前掲p.104。ヴェド・メータ/河合秀和譯『ハエとハエとり壺 現代イギリスの哲学者と歴史家』みすず書房、一九七〇年一月、p.211も見よ)。この「過去を想ひ描き未來を想ひ出す they imagine the past and remember the future.」といふ交叉呼應*12のレトリックも、時間との關係を逆さにしたアナクロニズムである。
ついでに、すべての歴史は「現代史 contemporary history」であるといふベネデット・クローチェの有名な宣言もカーの『歴史とは何か』(pp.24-25)に取り上げられてゐ、過去は現在の主觀が構成するといふ構築主義にも相性のいい文句だが、クロォチェ『歴史の理論と歴史』(羽仁五郎譯〈岩波文庫〉一九五二年五月)に當ってみると、「現在の生の關心のみこそが人を動かして過去の事實を知ろうとさせることができる」云々と主張した上で、次のやうな補足がある。「私が歴史的技術のこの諸方式を想起したのは、かの「すべての眞の歴史は現代の歴史である」という命題から逆説の外見をとり除くためであった」(p.17)、と。無論、晦澁な論題の謎解きや説明は大いにやるべきこと、だが
例へばここに好古者流の、現世を厭ひ過去に逃避するばかりの生活を離れた歴史への關心があるとして(當然あるだらうが)、それをも同時代史の一齣、現代に屬する生だとは言へるにせよ(おお、これまた人生!)、サテその甚だ現代的ならざるを如何せん(これぞ正に反時代的、ってかい?)。そんなもの「眞の」歴史に非ず、僞の歴史が現に存するとて「單に敵役であり、相手役である」(クローチェ前掲書p.190)と「清算」するのだとしたら、勝手な主役もあったものだ。前提にされたその歴史的現在といふものの如何なる現在かが、反時代的な現在をも含めて問題となる筈。同時代人だからとて一括りに片づけられては亂暴だ。人それぞれに生きてある「現在」があって、現實は多元的に分裂してゐる。折角後向きになる現在の契機に勘づきながら畢竟クローチェは「生の哲學」の人で、前向き過ぎるからいけない。眞が生に合致するなんて保證がどこにあらう。學としての歴史に含まれた危險な標語「生は滅ぶとも眞理は行はれしめよ fiat veritas pereat vita」(「生に對する歴史の利害」四、ちくま学芸文庫版p.152)を見拔いたニーチェに言はせれば、「最高度に有害且つ危險であらうと、何かが眞理であることはあってよい。それどころか、人間がその完全な認識のゆゑに破滅するといふことは、生存の根本性質に屬するのかもしれない」(『善惡の彼岸』三九。信太正三譯『善悪の彼岸 道徳の系譜 ニーチェ全集11』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年八月、pp.77-78該當)――生に抗しても眞理を追究する自滅の覺悟無くしては學問なんて生ぬるいわけだ! 學である歴史を病氣と見立てたニーチェが教へてくれたのは、それが生に活かさるべき代物ではないこと、したがってむしろ、その意に反しようとも皮肉に學べるのは、生に背くには最もよく利用できるといふことではないのか。無用の用……但し
ただ現在を生きる關心に、別に歴史研究を選擇すべき必然性などありはしまい。さう、さまで必要無いのにも拘らず、現在の關心でありながら今ここでも未來でもなく過去へと向ふといふ拗れ方に、面白味があるのだ。必要以上に志向すること、趣味も學問もそこに成り立つ。度を越してからが本領だ。
先に引いた『反時代的考察』第二篇緒言の末尾、あれをジル・ドゥルーズ『ニーチェと哲学』第三章も引用してゐた。
能動的に思考すること、それは、「非現働的な仕方で、したがって時代に抗して、またまさにそのことによって時代に対して、来るべき時代(私はそれを願っているが)のために活動することである」。*13
江川隆男譯〈河出文庫〉二〇〇八年八月、p.215
引用内で「反時代的に」に當る部分が「非現働的な仕方で」と生硬な譯文であるのは佛文原語inactuelと察せられ、やはり時期外れ・流行遲れといった語義であるが、哲學用語だとアクチュアル(現働的・現勢的)の對でvirtuel(潛在的)に近い意味を持つ。現實化(actualiser)してない可能性、といった含みがあるわけである。來るべき時代のためにならうとなるまいと知ったことではないが(知れたところで後知惠なるのみ)、ここでも惹かれるのは時間性の込み入った複合關係だ。普通、可能性とは將來について言はれるのに、それが過去にあった可能性の活用、
現在に抗して過去を考えること。回帰するためでなく、「願わくば、来たるべき時のために」(ニーチェ)現在に抵抗すること。つまり過去を能動的なものにし、外に出現させながら、ついに何か新しいものが生じ、考えることがたえず思考に到達するように。思考は自分自身の歴史(過去)を考えるのだが、それは思考が考えていること(現在)から自由になり、そしてついには「別の仕方で考えること」(未来)ができるようになるためである。
宇野邦一譯『フーコー』「褶曲あるいは思考の内(主体)」河出書房新社、一九八七年十月、p.190
ハイデッガーが歴史學の本來的な主題を「既在した可能性」の「取り返し」(Wiederholung=繰り返し、反復)だと説いたのに似るか(『存在と時間』第七十六節、原佑・渡辺二郎譯參照、原書S.394-395該當)。尤もフーコーはその『存在と時間』が難じた「好奇心」をば反って動機に掲げ、「すでに知っていることを正当化するというのではなく、別のしかたで考える」ためだと言ふのだけれど(桜井直文「ミシェル・フーコー『性の歴史』第二巻の二つの序文」『アレフ』第5號、『アレフ』の会、一九九二年十二月、p.129。田村俶譯『性の歴史Ⅱ 快楽の活用』「序文」新潮社一九八六年十月、p.16該當)。碎いて語らせると、次のやうだ。
知識人の仕事は、ある意味でまさに、現在を、ないこともありえたものとして、あるいは、現にあるとおりではないこともありえたものとして立ち現れさせながら語ることです。それゆえにこそ、現実的なもののこうした指示や記述は、「これがあるのだから、それはあるだろう」という形の教示の価値をけっして持たないのです。また、やはりそれゆえにこそ、歴史への依拠――少なくともここ二十年ほどの間のフランスにおける哲学的思考の重大な事実の一つ――が意味を持つのは、今日そのようにあることがいつもそうだったわけではないことを示すことを歴史が役割としてもつかぎりにおいて、つまり、諸事物が私たちにそれらがもっとも明白なのだという印象を与えるのは、つねに、出会いと偶然との合流点において、脆く不安定な歴史の流れに沿ってなのだということを示すことを歴史が役割として持つ限りにおいてなのです。
黒田昭信譯「構造主義とポスト構造主義」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅸ 1982-83 自己/統治性/快楽』筑摩書房、二〇〇一年十一月、pp.322-323
同工異曲をカントを論ずる中でも述べてゐる。
この批判が〈系譜学的〉であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのではなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることができる可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ。
石田英敬譯「啓蒙とは何か」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅹ 1984-88 倫理/道徳/啓蒙』筑摩書房、二〇〇二年三月、p.20
ここでは「私たちを構成し、またそのような主体として認めるように私たちがなった由来である諸々の出来事をめぐって行われる歴史的調査として批判は実行される」(同上)のである以上、現在と異なる可能性といふのも過去から掘り出されるものだ。所謂「未發の可能性」を歴史から掬ひ上げてくる史論ならば、殊に思想史や文學史ではありふれてゐる。しかし、意向は未來にあると言ふのに、現在では足らずにわざわざ後向きになって過去に可能性を得ようとする……その倒錯に、魅力は存する。
アイザック・アシモフの編んだ本につけられた、『過去カラ来タ未来』(石ノ森章太郎監修、パーソナルメディア、一九八八年十二月)といふ秀逸な譯題を想ひ出す。十九世紀末に描かれた未來豫想圖を紹介した畫集で、原タイトルは“Futuredays”と曲の無いものだった。横田順彌『百年前の二十世紀 明治・大正の未来予測』(〈ちくまプリマーブックス〉一九九四年十一月)だって同類の
いづれにしても肝心なのは未來でない、將來への糧とするために過去の遺産を探るに留まらず、可能性といふ未來さへ過去の相の下に觀る勝れて後向きの姿勢に意を注がれたし。そこに、單にノスタルジックな過ぎし世への囚はれ以上のものが思考されよう。
ここまで見てきたやうな兩方向に交叉した錯時的認識については、フーコーの言葉が示唆的である。『監獄の誕生』第一章、序言となる締め括りで、自問自答しながらanachronismeへの複雜な態度を見せてゐる。アナクロニズムのアンチノミーとも言へようか。曰く――
……監獄についての歴史を私は書きたいと思ふ。全くのアナクロニズムによって、か? 否だ、もし人がそれ[=アナクロニズム]によって現在との關聯における[dans les termes du présent=現在の用語による]過去についての歴史を書くことと解するのならば。もし人がそれによって現在についての歴史を書くことだと解するならば、然りだ。*15
しかし、当然にも、系譜学は、現在の用語―関心によって過去を解釈し、その解釈を歴史として書く、歴史解釈学の一分派なのではない。[……]つまり、系譜学が問題化する「近代」とは、現在の用語―関心によって「近代」と解釈され得るものの歴史ではなく、その用語―関心が誕生し、現実性を得、まさしくこのように働き得るようになるに至ったその歴史、すなわち「現在の歴史」のことだ。
榎並重行・三橋俊明『細民窟と博覧会 近代性の系譜学……空間・知覚編』「序」JICC出版局、一九八九年二月、p.14
いま現在といふものをも歴史と化し歴史と觀じ去る、強度の歴史主義。同時に、飽くまで現在に關心するアクチュアリティー*17。奇妙な二重性の混在。フーコーの現在性への執着ぶりは、カントの「啓蒙とは何か」を取り上げた「カントについての講義」(小林康夫譯、『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅹ 1984-88 倫理/道徳/啓蒙』筑摩書房、二〇〇二年三月)等に著しい。さうして「われわれ自身であるこの現在」とは、「現に過ぎ去っていくもの」であるが故に歴史學の對象とされる(桑田禮彰・福井憲彦・山本哲士譯「セックスと権力」『ミシェル・フーコー 1926-1984 権力・知・歴史』新評論、一九八四年十月、p.65。慎改康之譯「性の王権に抗して」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅵ 1976-77 セクシュアリテ/真理』筑摩書房、二〇〇〇年八月、p.358該當)。現在が歴史となると言っても、未來完了(前未來)時制みたいに先取りした未來の時點に自分を置くことで現在を過去と觀るなら前進志向にもありがちだが、過去に向って時代を遡り具體的な調査發掘をする歴史家ぶりがフーコーの身上であった(西永良成譯「歴史の濫造者たちについて」參照、前掲『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅸ』所收)。
現在の觀點から過去を現在化する遡及的アナクロニズムに對し、現在を過去化する方向のアナクロニズムがあるだらう。現在を歴史化するとも言へる――歴史とは過去となったもののことだとすれば、だが(それとも何かい、マサカ、歴史とは未來に向って創るものだ、とでも?)。そしてその意味で現在を歴史と見做すことは、三木清によれば、
等しく專門家的でないにしてもディレッタントとヂャーナリストとは性質を異にしてゐる。少なくともディレッタントであるやうなヂャーナリストはその名に値するヂャーナリストではない。ヂャーナリストの關心するのは今日の問題である。然るに現在が現在として關心されるのは未來が關心されてゐるからでなければならぬ。ディレッタントが關心するのは寧ろ過去である。彼はもとよりその多面性の故に現在についても或る興味をもつであらうが、然し彼にとつては現在もひとつの過去に過ぎない。なぜなら現在を眞に現在として顯はにするものは未來の見地であり、從つてそれ自身のうちに必然的に未來への動向を含む實踐乃至創作の立場であつて、これとは反對のディレッタンティズムの立場ではない。ディレッタントは何よりも趣味の人である。然るに趣味は好んで過去のもの、完成されたものの上で働き、從つてディレッタントはおのづから、ヂャーナリストがその中で生きる生成しつつある現在の渾沌たる喧騷から過去のうちへ逃避する。ディレッタントがモダンであるといふのは一の錯覺である。かくてまたディレッタンティズムは主として過去の批評に終始するアカデミズムと想像されるよりも遙かに容易に結び付く。
「ディレッタンティズムに就いて」『三木清全集 第十二卷』岩波書店、一九六七年九月、p.85、傍線引用者
かういふ概念整理をやらせたら三木清にはお手の物で、これまたハイデッゲル先生の時間論の應用か。このジャーナリスティックな哲學者は續けて言ふ、「なるほどディレッタントは懷疑的である。併し彼の懷疑はいはゆる歴史的相對主義、換言すれば、廣く過去を見渡すとき如何なる絶對的なものもないといふ感情に結び附いたものである。或いは逆に、歴史的相對主義なるものはディレッタンティズムの産物である」云々(同前p.86)。かかる價値相對主義こそは、歴史主義の行き着く不可避の
ニーチェ=フーコー流系譜學に於ては、「起源」ではなく、「由來」と「發生」とを組み合せて探る*19。由來を辿ることはそれがもと歸屬してゐたものを問ふことであり、起源論が回歸する同一性や連續性やから外れた異質な出自を突き止める。發生については、今ある現存状態がどうやって出現したか、出來事を變化させた力(權力、でもある)を分析する。恐らくディレッタントは本性享受者にして力無きがゆゑに、由來は見つけられるものの、發生の現場がよく掴めないのではないか……? 事件(=出來事)は現場で起きてゐるが認識はミネルヴァの梟よろしく後れてやって來るのだ。さもありなむ、我々は現在を見るにバックミラーを以てし、眼差しを後向きにしたまま進むことを餘儀なくされる。よく引かれるヴァルター・ベンヤミンが歴史哲學テーゼに記したイメージを想起してもいい。
「
浅井健二郎譯「歴史の概念について」Ⅸ、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』〈ちくま学芸文庫〉一九九五年六月、p.653新しい天使 」と題されたクレーの絵がある。それにはひとりの天使が描かれていて、この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。その眼は大きく見開かれ、口はあき、そして翼は拡げられている。歴史の天使はこのような姿をしているに違いない。彼は顔を過去の方に向けている。私たち の眼には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、彼 はただひとつ、破局 だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ。
同じくベンヤミンで引用されやすい名文句には、「文学史と文芸学」結尾(野村修譯、『新しい天使 ヴァルター・ベンヤミン著作集13』晶文社、一九七九年八月所收、p.140該當)がある。そこにも異なった時間の重ね合せといふ意味でのアナクロニズムがあり、捩れて裏返ったメビウスの輪のやうな歴史意識が疊み込まれてゐるのを見ることができる。
文学作品を、その時代のもつ連関のうちに叙述することこそが大切だ、というのではない。大切なのは、それが成立した時代のなかに、それを認識する時代――それはわれわれの時代である――を描き出すことなのだ。
浅井健二郎編譯『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』〈ちくま学芸文庫〉一九九六年四月、 p.10(エピグラフ)
それを認識する時代の中にそれが成立した時代を、ではない。どう違ふかが考へどころだ。またしても文獻學的-歴史學的アンチノミーの
とはいえ、彼は思考についてはあまり能力をもっていなかったとわたしには思われる。考えるということは、相違を忘れること、概括すること、抽象することである。過度に充満したフネスの世界には、細部、ほとんど連続した細部しかなかった。
篠田一士譯「記憶の人・フネス」前掲pp.77-78
前掲『哲学者の書 ニーチェ全集3』「Ⅷ 「われら文献学者」をめぐる考察のための諸思想および諸草案」p.467
記憶の過度の緊張 ――このことは、文献学者にあっては極めて普通のことである。彼らには判断の発達が比較的僅かなのである。
プロローグでひと言觸れただけなので、詳しく語ったものは、ジョルジュ・シャルボニエ『ボルヘスとの対話』「Ⅶ 新しい文学ジャンル」鼓直+野谷文昭譯、国書刊行会、一九七八年十一月、p.124以下參照。フネスの物語を書いたのは、實際に不眠症に苦しめられてゐたのでそれから逃れようとしてだ、とボルヘスは言ふ。
それは不眠症の、忘却に身をゆだねることの困難ないし不可能性の、いわば隠喩です。というのも、眠ることはすなわち、忘却に身をゆだねることだからです。己れの自己同一性、己れの置かれている状況を忘れること。フネスにはこれができなかった。結局そのために、苦悶しながら息絶えた。
『ボルヘスとの対話』p.127
眠ることは忘れること……確かに。とはいへ、夢も見ずに熟睡する限りで、と但し書きを添へずばなるまい。夢、殊に惡夢では忌はしい記憶が反芻され、眠ってゐる間も己が過去に魘されようから。夢もまたボルヘス愛用のモティーフではあったが、とすると、我を忘れさせてくれる夢こそが求められる夢である筈だ。或いは過去でなく、夢とは「將來の夢」の意味であればよいのか。いっそ豫知夢とか夢占ひとか。ミシェル・フーコーは處女作「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」(『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅰ 1954-1963 狂気/精神分析/精神医学』筑摩書房、一九九八年十一月所收)で、かう斷じた。
夢のもつ本質的な点は、それが過去を再生することのうちにではなく、未来を予告することのうちにある。[……]それはトラウマとなった過去の強迫的反復であるよりも、むしろ歴史の予示なのである。
このくだりを引いて神崎繁は、「「過去志向的な」フロイトの「夢解釈」の理論とあえて対比することで、「未来志向的な」理解の方向性を強調する」ものだと評してゐる(『フーコー 他のように考え、そして生きるために』〈シリーズ・哲学のエッセンス〉NHK出版、二〇〇六年三月、p.102)。考へさせられる指摘だ。――なほ、引用されたフーコーの文中「歴史」とある箇所は、荻野恒一・中村昇・小須田健譯『夢と実存』「序論」(みすず書房、一九九二年七月、p.71)では「生活史」と譯されてゐて、精神醫學の文脈ではその方が適切だらう。精神鑑定書だったら「生活歴」だ。
續けてフーコーは、「夢の構成契機になるのは、時間を通じて生成する実存、未来へ向かうその運動のうちにある実存以外にはありえないのだ。夢はすでにして、生成しつつあるこの未来であり」云々と述べてゐる。確かに、現に夢を見てゐる主體にとってそれは生起しつつあるものだらうから、「過去の生活史が疑似的に客観化されたにすぎない主体」では「ありえない」だらう。が、異議あり。夢といふものは、その最中は眠ってゐるのだから覺醒後に想起されるものでしかない。したがって、單に過去の體驗が夢に見られることがあるといふ以上に、もっと根本から、夢とは意識にとって過去のものではないか。それが、再現といふより想起に伴っていま構成されつつある過去なのだとしても(大森荘蔵流の時間論)、その限りで現存在やら實存やらに屬するにしても(實存主義式の投企)、やはり作業が後向きであることは否めない。どうしてそれを未來向きの前方投射に轉じられるのだらうか。夢を豫兆と信ずる古代人、晩年にフーコーが論じた『夢判斷』の著者アルテミドロスの如き感性の持ち主にならば、できるのか……? どうもこの邊、夢なんか見ない、イヤ見るのかもしれないが起きたらサッパリ想ひ出せず忘れてしまってゐる、さういふ散文的な現代人にとっては解りかねる。時間論の哲學に深入りすると寢覺めが惡くなりさうだから止めておく。
入手しやすいのは、中村健二譯「カフカとその先駆者たち」『異端審問』晶文社、一九八二年五月、p.162→『続審問』〈岩波文庫〉二〇〇九年七月、p.192。但し英譯版からの重譯である。ほか、土岐恒二譯「カフカとその先駆者たち」中央公論社『海』一九七四年七月號、p.230。藤川芳朗譯「カフカと彼の先駆者たち」城山良彦・川村二郎編『カフカ論集』国文社、一九七五年二月、p.279(目次でのみ「エルヘ・ルイス・ボルヘス」と誤記)。
引用したこの箇所にボルヘスは註を附してゐる。T・S・エリオット著“Points of View”(1941)pp.25-26.を見よ、と。具體的には、有名な「傳統と個人の才能」(一九一九年初出)の次の部分に當る(cf.Alice E.H. Petersen, ‘Borges's "Ulrike"- Signature of a literary life, Studies in Short Fiction, vol.33 no.3, 1996 Summer)。吉田健一譯で引いておく。
一つの新しい芸術作品が創造された時に起ることは、それ以前にあった芸術作品のすべてにも、同時に起る。すでに存在している幾多の芸術作品はそれだけで、一つの抽象的な秩序をなしているのであり、それが新しい(本当の意味で新しい)芸術作品がその中に置かれることによって変更される。この秩序は、新しい芸術作品が現われる前にすでに出来上っているので、それで新しいものが入って来た後も秩序が破れずにいる為には、それまでの秩序
吉田健一譯「伝統と個人的な才能」『エリオット選集 第一巻』彌生書房、一九五九年三月、p.12全体 がほんの少しばかりでも改められ、全体に対する一つ一つの芸術作品の関係や、比率や、価値などが修正されなければならないのであり、それが、古いものと新しいものとの相互間の順応ということなのである。そしてこの秩序の観念、このヨーロッパ文学、及び英国の文学というものの形態を認めるならば、現在が過去に倣うのと同様に過去が現在によって変更されるのを別に不思議に思うことはない。しかしこれを理解した詩人は多くの困難と、大きな責任を感じなければならないことになる。
譯文中「不思議に」は原語preposterous、前後顛倒が文字通りの意味。ほか矢本貞幹譯「伝統と個人の才能」(『文芸批評論』〈岩波文庫〉一九三八年五月→一九六二年九月改版p.10)、深瀬基寛譯(『エリオット全集 5 文化論』中央公論社、一九六〇年八月→改訂・三版、一九七六年二月pp.7-8)等と對照のこと。ここにソシュール式な共時的體系の構造論を聯想したくなるのは、構造主義以後の讀者としては無理ならぬところ(例、加藤文彦『相互テクスト性の諸相――ペイター/ワイルド/イェイツ/エリオットの「常に既に」』国書刊行会、二〇〇〇年七月、p.73以下)。兎まれこれにより、謂はゆる「傳統の發明 invention of tradition」の論は歸化英國人エリオットに萌芽し、アルゼンチン人ボルヘスが文學作品の具體例に即しつつその逆説性を高めて再提唱した、と系統づけられよう――いや、或いはこれもまた「創られた傳統」であるのかしれない……。加上説(富永仲基)としての「ボルヘスとその先驅者たち」。
ジェラール・ジュネット/和泉涼一譯「文学のユートピア」花輪光監譯『フィギュールⅠ』書肆風の薔薇、一九九一年六月、p.155。底本を記してないがより初出に近い異文と思はれるのは、G・ジュネット/倉沢充夫譯「ボルヘスの批評」牛島信明・鼓直・土岐恒二・鈴木宏編集『même/borges』〔季刊même第二號、一九七五・夏〕エディシオン エパーヴ、一九七五年七月。ジュネットの批評文が文學理論で謂ふ所の間テクスト性につながるのは容易に看て取れよう。分類魔であるジュネット自身は「超テクスト性 transtextualité」その他の造語で呼び換へてゆくけれど(和泉涼一譯『パランプセスト 第二次の文学』〈叢書 記号学的実践〉水声社、一九九五年八月)。間テクスト性とは、從來の出典・源泉・影響關係等をカッコよく言ひ換へただけの代物でなく、クロノロジカル(年代記的)な順序を解體する概念としてこそ意義がある(土田知則『間テクスト性の戦略』〈NATSUME哲学の学校〉夏目書房、二〇〇〇年五月、pp.63-66・105-116)。讀解におけるアナクロニズムもそこに關はり、共時態といふものが現時の横斷面であるだけでなくそこに過去をも含む厚みがあることが考慮されよう。しかし術語を振り回すまでもなく、えせ學者流(pseudo-scholarship)にならぬ普通の讀者階級にあっては文學史に拘泥せず新舊先後を共存させた讀み方が常識であることは、夙にE・M・フォースター『小説の諸相』(原著一九二七年刊。田中西二郎譯、〈新潮文庫〉一九五八年十月、pp.15-16)が序説でまづ前提に据ゑた所であった。時間は敵だ、むしろ新舊の作家が一堂に會して同時に書いてゐる所を想ひ描く、云々。但し、常識論に眼を開かせるには逆説を以て説かねばなるまい――G・K・チェスタトンのやうに。ニーチェ亦曰く、「眞の歴史家は衆人周知のことを未聞のことに鑄直して一般的なことをあまりに單純且つ深長に告知する力を持たねばならぬ、ために世人がその深さを通して單純さをまたその單純さを通して深さを見霽かすほどに」(「生に對する歴史の利害」六、前掲『反時代的考察 ニーチェ全集4』p.180該當。須藤訓任『ニーチェの歴史思想――物語・発生史・系譜学――』「第二章 問題群としての「生に対する歴史の利と害について」」大阪大学出版会、二〇一一年十二月、p.91所引の譯文も參考に私譯)。
例へば、一九八〇年代半ばに『文章教室』の作家が吐いた皮肉を想起してもいい。「文学というものは、今時、流行遅れのものだし、流行遅れのことをやっている人間たちが――反時代的、などと言えば賞めすぎになる――何も知らないからと言って、驚くにはあたいしない」(金井美恵子「「私はその名前を、知らない」」『Studio Voice別冊'85 勉強堂』流行通信、一九八五年七月、pp.459-460。金井の單行本に未收録か)。既に十九世紀以來ずっと、時代の叛逆兒であることは却って天才の證、青年やら藝術家やらにとって名譽であった(例、ヴィリエ・ド・リラダンとか)。侮蔑や自卑の響きを取り戻さぬ限り、最早「反時代的」といふ言葉は賞味期限切れである。いまの時代、下記の如き惹句を空々しく感じられない者が『反時代的考察』を熱心に讀むとしたら、惡い冗談といふものだ。曰く、「反時代的とは何か。時代に背を向けているだけの冷淡な反対的態度ではなく、積極果敢な時代批判を通して未来を指向する精神。これがニーチェにおける最も美しい〈反時代的〉という意味である。[……]すべての青年たちに捧げられた青年の哲学」(『ニーチェ全集4』ジャケット裏)。
「先」の語史について詳しくは、勝俣鎭夫「バック トゥ ザ フューチュアー――過去と向き合うということ――」日本歴史学会『日本歴史』二〇〇七年一月號「新年特集号 日本史のことば」吉川弘文館、參照。サキといふ言葉の未來を示す用法は十六世紀以降に見られる新しい派生語意であり、元々中世までは時間上で過去を指す語だったことが考證されてゐる。よって、有名な土一揆の史料である柳生徳政碑文「
また言語學の阿部宏は次のやうに整理する。「空間概念の時間化について、主体は不動でその前を各事件が川の流れのようにつぎつぎに流れ去っていくイメージ(事件移動)でとらえられる場合と、主体が時間という一本道を自ら前へ前へと進んでいくイメージ(主体移動)でとらえられる場合と、主として二つの概念化がおこることが一般的に指摘されている。」
やはり空間概念が時間化された「さき」にも、以下のように過去と未来の正反対の用法が存在する。「さき」の場合は、「先端」→「空間的な前方」→「時間」であるが、事件移動のイメージでは、すでに流れ去って流れの前方にあるのが「さき(=過去)」で、主体移動のイメージでは、主体の前方の地点が「さき(=未来)」ということになり、「あと」とはちょうど対称的な関係になる。
「
「比較文法を批判してソシュールが考えたこと」岩波書店『思想』二〇〇七年第一一號「ソシュール生誕一五〇年」p.60さき (=過去)にお話しした件ですが……」/「それは、まださき (=未来)のことだ」
ジュネットも言ふ、「
「第3章 分身たち――第二部」中「4 復讐からの救済」參照。これは同書第1章p.42以下で「『反時代的考察』という標題に籠められた「
なほ、ニーチェの「反時代性」を「アナクロニスム」論につなげるものに、ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』(竹内孝宏・水野千依譯、人文書院、二〇〇五年十二月、pp.36-37・178-179・338)があり、「生成の可塑性と歴史のなかの断層」の章で『反時代的考察』第二篇も扱ってゐた。反時代性そのものは觸れる程度だが、歴史のアナクロニズム化といふ著者の持論が窺へる所は興味あるもの。
文獻學と歴史學とは對象も方法も重なるし(例へば、中島文雄『英語学とは何か』「3 フィロロギーと歴史」〈講談社学術文庫〉一九九一年五月、を見よ)、事實ニーチェにあっても併稱されるが(『道徳の系譜學』「序」三、第一論文註)、しかしながら、對立させられるものでもあることは留意しなくてはなるまい。この對立にはニーチェ
なほ、レーヴィットの「ブルクハルト對ニーチェ」といふ問題設定については實證以前の豫斷に過ぎないといふ批判もあるものの(浅井真男「ブルクハルトとニーチェ」『史境』第一號、歴史人類学会(筑波大學)、一九八〇年九月)、齋藤忍隨を併讀するとやはり兩者の相違における對比は有意義に思はれる。
以下など見よ。「結果であるものを原因ととることによって」……「原因と結果をとりちがえる」……『人間的、あまりに人間的な』三九・六〇八。「哲学者に関する著作のための準備草案」中「一 一八七二年秋および冬から」『哲学者の書 ニーチェ全集3』ちくま学芸文庫版pp.308-311。詳しく論じたのは『偶像の黄昏』中「四大誤謬」の章。……他に?
かうしたニーチェによる因果性批判を、柄谷行人は「遠近法的倒錯」といふ呼び名で弘めたものだ。早くは『日本近代文学の起源』の「Ⅰ 風景の発見」(初刊一九八〇年八月、講談社文芸文庫版p.45)にニーチェが言ったとしてこの語が持ち出されてゐるが、『内省と遡行』の標題論文中「序説」(一九八五年初刊、講談社学術文庫版p.11)で「ニーチェのいう「結果を原因とみなす」遠近法的倒錯」といふ風に特に因果顛倒のこととして述べられ、『探究Ⅱ』「第九章 超越論的動機」(一九八九年六月初刊、講談社学術文庫版pp.220-221)では「系譜学的であることは、結果であるものを原因とみなす「認識の遠近法的倒錯」をえぐり出すこと」と説かれる。また「そのことを最初にいったのは」スピノザであるとして、『エチカ』からの引用を掲げてゐる(同前pp.225-226)。ところでしかし、引用符で括られてゐるが「遠近法的倒錯」といふそのものズバリの言葉はニーチェに見當らない。「結果の代りに由來。なんといふ遠近法の反轉!」(『善惡の彼岸』三二。信太正三譯『善悪の彼岸 道徳の系譜 ニーチェ全集11』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年八月、p.68該當)といふ箇所で、どうだ? だが、このUmkehrung der Perspektiveを遠近法的倒錯と譯した邦文があったのかどうか、あっても果して適譯か。第一これは「結果を原因とみなす」のでなく逆、由來(Herkunft)を結果(Folgen)の代替にしてゐる。ニーチェ全集を繙くと、結果を原因と見做す遡及方向の逆轉でなく原因を結果と捉へる向きの誤謬を論じた箇所も散見する。例へば、「年代記的逆転」のため「原因があとになって結果として意識される」ことを述べ、さうした誤認を「文献学の欠如」と名づけた遺稿……尤もその斷章中では「結果がおこってしまったあとで、原因が空想される」とも説き、何やら循環端無きが如しであるが(『權力への意志』四七九、原佑譯『権力への意志 下 ニーチェ全集13』〈ちくま学芸文庫〉一九九三年十二月)。柄谷の引例にあるスピノザも「目的論は、実は原因であるものを結果と見なし、反対に〈結果であるものを原因〉と見なす」と雙方向で論じてゐた。それにニーチェの場合、原因・結果といふ單語でなく「意圖」や「目的」といふ概念を俎上に載せた所が多いかも。といふことで、「遠近法的倒錯」といふ成句、特にその意味を結果を原因に代入する方向に限るのは、ニーチェでなくそれを發想源とした柄谷行人の創意に歸する方が良ささうだ。實際
三島憲一「初期ニーチェの学問批判について――ニーチェと古典文献学」氷上英廣編『ニーチェとその周辺』朝日出版社、一九七二年五月→三島憲一『ニーチェとその影 芸術と批判のあいだ』未来社、一九九〇年三月→増補『ニーチェとその影』〈講談社学術文庫〉一九九七年九月、p.20。曰く、「しかし、何か不動なもの、時間の流れにかかわらず確固として不動なものによって自己を測るというだけでは、なにほどのこともなかろう。[……]偉大な過去によって現在を理解し、未来の指針を探ろうとするのは、ごく自然なことであろう。というよりも、正確にはまさにそれが市民社会における文化的正統性の追求にいわばつきものの営みであった」。むしろさういふ正統性を懷疑したのがニーチェであり、なぜなら規準となる過去といふのも現在から理解した像に過ぎないからで……と三島は讀んだ。誤解ではないものの、的を逸れてないか。問題となる文獻學的アンチノミーの文の流れは逆であった。三島譯ではかうだ、「事実問題として人は古代をいつも現代からのみ理解して来たのである。――そして今度は古代から現代を理解しろというのだろうか」(前掲p.19)。語調は變へられたが、まづ現代からの理解を前提に擧げそれに對し古代からの理解を要請するといふ順序は搖るがない。ムザリオン版でなくグロイター版全集に基づく別譯でも同樣、「実際は、つねにただ
なほ、ニーチェ前後のドイツにおける文獻學については西尾幹二『ニーチェ 第二部』(中央公論社、一九七七年六月→〈ちくま学芸文庫〉二〇〇一年五月)も調べてゐるが、むしろそこで擧げられ斎藤忍随も依據してゐたヴェルナー・イェーガー「文獻學と歴史學」に食指が動く。
解釋學派からは異論もあらうが、ジークフリート・クラカウアーがH・G・ガダマー『真理と方法 哲学的解釈学の要綱』(轡田収ほか譯、〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、Ⅰ・一九八六年八月/Ⅱ・二〇〇八年三月)を批判した言は當ってないか。
かれは真理判断の試金石を外部に求めずに、歴史の連続性を聖別し、アクチュアルな伝統を聖化する。だがこのやり方では歴史は狭い閉鎖的体系になり、ヘーゲルの金言「現実的なものは理性的である」と同様に、見失われた原因や実現されなかった可能性を閉め出してしまう。成功のストーリーとしての歴史――ブルクハルトだったら現代の解釈学の基礎にあるこれらの命題を、決して承認しなかったであろう。
平井正譯『歴史 永遠のユダヤ人の鏡像』せりか書房、一九七七年九月、p.264
これは、歴史主義問題とその從來の解決案を檢討した中での評である。クラカウアー自身は、檢討した超越論的ならびに内在論的解決(ガダマーも後者)のいづれとも異なる命題に移行すると告げ、兩解決法は二者擇一でなく竝存に代るべきなのだと言ふ。
わたしの命題の立場から見ると、哲学的真理は二重の様相を持っている。超時間的なものは時間性の痕跡を免れ得ず、時間的なものは超時間的なものを完全には包摂しない。われわれはむしろ真理のこの両様相が並行して存在し、わたしが理論的には定義できないと考えるようなやり方で、相互に関係づけられていると仮定する他はない。それに近い類例は量子物理学の「相補性問題」に見いだし得るであろう。
同前p.266
理論で定義できないやり方と言ひ、「
佐藤信夫企劃・構成/佐々木健一監修『レトリック事典』「1-7-1-2 《交差呼応》」(大修館書店、二〇〇六年十一月、p.106)參照。これは形式上から見た場合の分類で、内容から見ると意味論上の矛盾を利用した
技法と別に文法の相から語彙を分析すれば、ギルバート・ライル『心の概念』(坂本百大・井上治子・服部裕幸譯、みすず書房、一九八七年十一月)に倣って、「想起する/想ひ出す remember」は達成動詞(achievement verbs/到達動詞)、「想像する/想ひ描く imagine」は仕事動詞(task verbs/從事動詞)として對比する手がある。仕事動詞が單に遂行自體を表はし成否を問はぬのに對して達成動詞はその行爲の結果・成果までを含意するもの、從って、心内だけに終始してもよい「想像する」と違ひ「想起する」は心の動きが志向先に首尾良く到達してゐなくてはならない。實際「Aを想起したが、想起が外れた」とは言へまい、それは想起になってないと言ふべきだらう。想起對象Aが存在しなくては想起の成立條件が滿たせない、想起される目的語(對象)の現實性が動詞の意味・文法上から要請される、といふわけ。この動詞區分を應用した時間論の哲學として、中島義道『時間論』「第六章 幻想としての未来」〈ちくま学芸文庫〉筑摩書房、二〇〇二年二月、pp.216-217)及びその精解である入不二基義『哲学の誤読――入試現代文で哲学する!』(〈ちくま新書〉筑摩書房、二〇〇七年十二月、第三章p.182以下)參照。特に入不二著は第二章が本文前掲の永井均「解釈学・系譜学・考古学」の解説でもあり、參考になる。
なほ、このネイミアの逆理をイギリス史研究者近藤和彦は「過去に想像力をはたらかせ、未来を忘れない(imagine the past and remenber the future)」と譯してをり(近藤著『文明の表象 英国』「序」山川出版社、一九九八年六月、p.24)、日本語としてはこの「忘れない」の方が自然かも。これを含む節は「2 過去を想像し、未来を忘れない」と題されてもゐる。但し、そこに附された註38には「カーの引用するネイミアの言」とあって、原文脈を見ない孫引きのやうである。しかもその引用の前後や、同書「結」での「わたしたちはヴァレリとともに、「後ずさりしながら未来に入ってゆく」」(p.232)と述べる邊りを見ても、この語をE・H・カーに寄り添ってあまりに前向きな未來志向に捉へてゐる。「ネイミアの生涯と歴史学 デラシネのイギリス史」(近藤ほか編『歴史と社会 11 英国をみる 歴史と社会』リブロポート、一九九一年一月)にてネイミアを保守主義の歴史研究と結論した近藤にして、ネイミアを進歩主義擬きにしてしまって怪しまぬとは――それほどにも前進偏向のしがらみは脱し難いのか。
ここに原注312が附されてゐるが、311と參照先の指示が入れ違ってゐるやうだ。即ち312で「『反時代的考察』第三篇「教育者としてのショーペンハウアー」、三、四」を指示するが、311が仝「「生に対する歴史の利害について」、緒言」を擧げてゐ、註が附いた箇所の本文内容と合せるには入れ替へねばならない。先行の足立和浩譯『ニーチェと哲学』(国文社、一九七四年八月)も見るに、同書p.160に附された第三章原註(90)に該當するが、やはり(89)と指示内容が前後してゐる。すると誤りは原書からか。しかし邦譯者二人ともニーチェ全集との照合くらゐしたらうに、なぜ註記もせず間違ひのまま引き寫してあるのやら解せない。
なほ、「權力への意志」とニーチェが言ふその權力(乃至は力)を河出文庫版で「力能」と譯すが、フランス語puissanceに哲學用語で可能態の意味があるのを含ませたと見える。さういふ態、
嚴密にはドゥルーズの用語法では、可能性とは實現した現在をもとに事後になって逆算された遡及的な幻影でしかないと否定したベルクソンを踏まへ、可能性/實在性(possible/réel)といふ對概念と潛在性/現實性(virtuel/actuel)とが區別されるのだが、餘りにややこしくなるのでお預けにせざるを得ない。詳しくは、ジル・ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』(宇波彰譯〈叢書・ウニベルシタス〉法政大学出版局、一九七四年六月)第五章p.107以下參照。ベルクソンの可能性論は「回顧性の錯覚」といふ稱でウラジミール・ジャンケレヴィッチによって特に取り立てられて主題化した經緯があり(阿部一智・桑田禮彰譯『増補新版 アンリ・ベルクソン』新評論、一九九七年一月、序論p.9・第5章p.253・第6章p.293以下)、その「前未来」時制を「諸々の
田村俶譯『監獄の誕生 監視と処罰』(新潮社、一九七七年九月)p.35該當だが、誤解の餘地があるので譯文を私に改めた。これについてはprospero氏のサイト『STUDIA HUMANITATIS』の掲示板である「口舌の徒のために」でフランス語原文からその譯し方まで大いに教示を受けた。一往、田村譯では下記の通り。
こうした[……]監獄についての、私は歴史を書きあげたいと思うのだ。それはまったくの時代錯誤によって、であろうか。私の意図を、現在の時代との関連での過去の執筆であると理解する人には、そうではない。だが、現在の時代の歴史の執筆であると受けとる人には、そうなのである。
原文(原書p.35)ではNonとOuiと(諾か否か)の後にそれぞれ“si on entend par là faire l'histoire...”を繰り返してゐるので、直譯式に「もし人がそれによって〜の歴史を書くことと解するのならば」としておいたのだが、日本語として自然にするには不定代名詞onによる主語を省いた上で「もしそれで〜の歴史をやると解されるなら」と受け身形に飜譯するか、いっそ「それが〜の歴史といふ意味だったら」とでも意譯した方がこなれた譯文になるのかしれない。フランス語に無學なため確證しかねる。
フーコーが目論んだ「現在の歴史 l'histoire du présent」(現在についての歴史、現在といふものの歴史)に關し、一説として、次の示唆的なコメントを引いておく。
その他、例えば「現在の歴史」l'histoire au présentという言い方がおそらくドイツ語で「歴史」を意味するGeschichteをフランス語に訳したものであるだろうことを指摘しておいてもよい。ドイツ語において「歴史」は、「物語」histoireとではなくむしろ或る「様相」「構造」的現前と結びつくのである。
これはジル・ドゥルーズ「ペリクレスとヴェルディ フランソワ・シャトレの哲学」に邦譯者・丹生谷貴志が副へた「解題」の一段であり(宇野邦一編『ドゥルーズ横断』河出書房新社、一九九四年九月、p.26)、そこで「現在の歴史」と言ふのはフーコーでなくシャトレの言葉であるし、「現在」と「歴史」を繋ぐ助詞が日本語では「の」と譯されるものの原文フランス語ではduとauとで異なるからそのまま當て嵌められない懼れもあるが、語學力無きゆゑ佛文のニュアンスは判らない。しかしながら既に「フーコー、現在の歴史家 Historien du présent」(1988)と呼んだことのあるドゥルーズであってみれば、間テクスト的な共鳴は認められさうであり……參考までに。なほ、右引用段落の直後に丹生谷が併讀を奬めてゐるルイ・アルチュセール(聞き手フェルナンダ・ナバロ)『不確定な唯物論のために 哲学とマルクス主義についての対話』を見ると、Geschichteを擧げて「このことばは、燃え尽きてしまった歴史ではなく、
ジル・ドゥルーズは「装置とは何か」(財津理譯。宇野邦一監修『狂人の二つの体制 1983-1995』河出書房新社、二〇〇四年六月、所收)と題するフーコー論で、そのアクチュアリティーを頻りに強調してゐる。
わたしたちは、いくつかの装置に属しており、それらのなかで活動する。ひとつの装置が以前の諸装置に比べて新しいとき、わたしたちは、その新しさを、その装置のアクチュアリティー、わたしたちのアクチュアリティーと呼ぶ。新しいもの、それはアクチュアルなものである。アクチュアルなものは、わたしたちがいまそうであるところのものではなく、わたしたちが何かに生成するときのその何かであり、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれであり、すなわち《
「装置とは何か」p.229(傍線部は原文傍點ゴマルビ)他なる 》ものであり、わたしたちの〈他に‐生成すること〉である。わたしたちがいまそうであるもの(わたしたちがもはやすでにそうあるのではないもの)と、わたしたちがそれへと生成するただ中にあるところのそのそれとを、あらゆる装置において区別しなければならない――歴史の持ち分とアクチュアルなものの持ち分とをである。歴史とは、アルシーヴであり、わたしたちがいまそうであるところのものの素描であり、かつわたしたちがそうであるのをやめるところのものの素描である。他方、アクチュアルなものとは、わたしたちがそれへと生成するところのそのそれの兆しである。したがって、歴史あるいはアルシーヴは、わたしたちをさらにわたしたち自身から分かつものであるが、アクチュアルなものは、わたしたちがすでに合致しているそうした《他なる》ものなのである。
この對置に從へば、「フーコーによって記述されたもろもろの
どの装置においても、わたしたちは、もっとも近い過去のもろもろの線と近未来のもろもろの線を――アルシーヴの持ち分とアクチュアルなものの持ち分を、分析論の持ち分と診断の持ち分を――解きほぐさなければならない。フーコーが偉大な哲学者であるのは、かれが歴史を他のものごとのために利用したからである。ニーチェが言ったように、この時代に逆らって、したがってこの時代に向かい合って、そして来たるべき時代のために活動し、その来たるべき時代をわたしは望むということだ。フーコーの意味でのアクチュアルなものとして、あるいは新しいものとして現れるものは、ニーチェが反時代的なもの、非現代的なものと呼んだものであり、歴史とともに分岐するあの生成であり、他のいくつかの方途を携えて分析に取って代わるあの診断である。それは、予言することではなく、ドアをノックする未知のものに注意を払うということである。
「装置とは何か」pp.230-231(傍線部は原文傍點ゴマルビ)
右文中「反時代的なもの、非現代的なもの」の原語は“l'intempestif, l'inactuel”であり、「時宜を失したもの、非アクチュアルなもの」とも譯せる。
ここでのドゥルーズはアクチュアルに創造される近接未來へ加勢するあまり、
*8前掲レーヴィット『ヤーコプ・ブルクハルト』p.28及び瀧内槇雄「文庫版あとがき」p.547、斎藤忍随「フィロローグ・ニーチェ」pp.55-56、參照。ついでだから、前掲クラカウアー『歴史』(p.274)による魅力あるブルクハルト像をも掲げておく。
ブルクハルトはもちろん専門家であったけれども、かれは自分の好みに従うアマチュアのような態度を歴史に対して取っている。かれはただ、自分の内なる専門家が、歴史は科学ではないことを深く確信していたから、そうしたのである。「大ディレッタント」、ブルクハルトはある手紙のなかで自分をそう呼んでいるが、これが歴史を適切に取り扱うことのできる唯一のタイプであるように見えるであろう。専門家がアマチュアのなかから生まれることは知られている。だがここでは一人の専門家が、その特殊な主題のために、アマチュアに留まることを固執している。
また、歴史家としてのウェーバーのディレッタント性に注目した犬飼裕一『マックス・ウェーバーにおける歴史科学の展開』(ミネルヴァ書房、二〇〇七年七月)も參考になる。レーヴィットによるブルクハルトとニーチェの論じ方への批判なども含め、面白く讀めた。
ミシェル・フーコー/伊藤晃譯「ニーチェ、系譜学、歴史」『ミシェル・フーコー思考集成 Ⅳ 1971-1973 規範/社会』筑摩書房、一九九九年十一月所收、に據る。同譯文に「現出」とされたEntstehungを「發生」に改めたのは、榎並重行『ニーチェって何? こんなことをいった人だ』(〈洋泉社新書〉二〇〇〇年五月、p.49以下)にも「発生をとらえる系譜学」に就て述べられたのが見られるし、それが獨和辞典でも普通の譯語だからに過ぎない。フーコーが註記に示した該當箇所を邦譯『ニーチェ全集』と照合した限りでも「現出」といふ譯語は當てられてないやうだ。因みに、Ursprung(起源、根源)とEntstehung(發生、成立)とを對立させる用語法はヴァルター・ベンヤミンにも見られ(浅井健二郎譯『ドイツ悲劇の根源 上』「認識批判的序章」〈ちくま学芸文庫〉一九九六年六月、p.60)、とはいへ前者「
野暮は承知で言はずもがなの註釋をしておくと、各節の見出しは引喩(暗示引用)である。順に出典は、『アルジャーノンに花束を』『地獄の季節』『遅れてきた国民 ドイツ・ナショナリズムの精神史』『つゆのあとさき』『論語』『ミシェル・フーコー 構造主義と解釈学を超えて』『歴史家の同時代史的考察について』『プルウスト全集 失はれし時を索めて』『同時代も歴史である 一九七九年問題』『いつまでも前向きに 塵も積もれば…宇宙塵40年史 改訂版』。もぢっただけ、必ずしも内容と關はらず。