藏の中 
――讀書空間としての

二〇〇二年十月の新刊に『幻影の蔵』及び『乱歩邸土蔵伝奇』の相列びし驥尾(しりうま)附し(乘り)、こゝに「藏の中」と題す一篇を置く。これ即ち1995年3月の舊稿「書物人間の成り立ち――江戸川亂歩論のために」より「、亂歩論の情況報告」の一部を抄出せる而已。(02-10-26)


傳説の亂歩――藏の中から

江戸川亂歩にまつはる様々な話が語られるうちには、自然と「亂歩傳説」とでも謂ふべきものがあれこれ形作られてゐる。一九九四年、平凡社『太陽』六月號の江戸川亂歩特集は「怪人乱歩 二十の仮面」といふ題目を竝べた。曰くレンズ嗜好症、洞窟・迷宮、ユートピア、人形愛、竊視症、隱れ蓑願望、少年、見世物趣味……。他にも知れば知るだけ、一つ一つその仔細の程をこゝで開陳してゆきたいやうな誘惑に驅られてしまふ。これほど語る(タネ)に富んだ物件はさうさうあるまい。事實、これまでにも亂歩を論ずるに際して大勢の筆者が絶好の導入部だとばかりにそれらを引合ひにして來たのだ。[…略…]

ただ「乱歩の場合は小説から受けるイメージに加えて、数々の伝説的なエピソードのベールでつつまれていたので、なおさら極端に先入観を抱かざるを得なかったのだ。休筆の連続や極度の人嫌い、放浪癖。そうした話を聞けば、誰だって気難しい人物しか頭に思いうかべないことだろう」(山村正夫*2――つまり「江戸川亂歩」とは、さうしたそれら諸説をも構成因子にして、虚實入り亂れながらわれわれの間に出來上がる像の謂である。つづけて山村正夫の擧げるその手の亂歩を語つた傳説中の極めつけを見るとそれが一層明らかだが、折角だから山村以外も參照すれば、次の如きくだりが適當だ。即ち、江戸川亂歩邸を取材した文章の劈頭、ズバリ曰く「江戸川乱歩には「土蔵伝説」がある。」……

たとえばぼくは戦後生まれで、亂歩の少年向け小説、ことに光文社の月刊雑誌『少年』に連載されていた「少年探偵団」を読んで育った人間である。それで今も記憶しているのだが、江戸川乱歩の姿を雑誌広告で初めて見たとき、氏の書く異様な物語と一致したそのおどろおどろしい雰囲気に息を呑んだものだ。

もちろん、乱歩先生ご自身のお顔が奇怪だったわけではない。[…略…]異様だったのは、たたずまい(ヽヽヽヽヽ)なのである。どこやら薄暗い場所にいて、原稿箋に筆を走らせている。そして、

「乱歩先生は陽光を遮った土蔵に蝋燭を点し、こわいお話を書かれるのです」

と、広告文が付いていた。

真っ暗な土蔵の中で小説を書く作家!

この途方もなく謎めいた執筆ぶりを紹介され、乱歩先生に対し、あらん限りの妄想をふくらませた少年読者は、むろん、ぼくだけではないはずだ。[……]


荒俣宏『開かずの間の冒險』*3

然り、確かに山村・荒俣両少年だけではない。このほか多數、例へば種村季弘*4や色川武大*5といつた人びとの書いたものの中にも、亂歩の創作現場を傳へる如上の噂が流布してゐた事實の、異口同音な證言が得られるのだ。いつそ、いさヽか輕率にはこんな斷言が出て來もする。曰く、「乱歩の土蔵については以前から広く知られ、「妖しい乱歩」「博識の乱歩」それから「懐かしい乱歩」、すべての乱歩伝説の焦点がここに結ばれているかのよう」、兎も角「世間は乱歩をそういう人間として見たがった」ト*6。何しろ注目すべき傳説ではある。

いかにもこの插話エピソオドは興味深い。近代〈作家〉であれば當然多少とも『芸術家伝説』はつきもの、その資料提供源インフォーマントとして探偵小説の代名詞でもあつた「大亂歩」なら資格充分なわけだらうし、宛も《H・P・ラヴクラフトは「書くものは怪談ばかりで、執筆は夜が多く、昼間書くときはシェードをおろし、電燈をつけて、夜を拵えあげた」》だの《「コルク張りの部屋に閉じこもり、ホテル・リッツから舌平目のムニエルをとりよせながら、死ぬまで『失われた時を求めて』を書きつづけたプルースト」》だの云ふにも似て、作家へ神話作用を施して今日之を傳説上の英雄を視るが如くするといふコノテーションを有するものだらう#1。だから「江戸川亂歩」と云へば、作品、人物、及びそれらに附隨する知識、いづれをも指す總稱になつてゐる。けれどもその一方、亂歩=土藏傳説の「傳説」たる所以は、怪情報としての信じ難さ、少々眉唾物の浮説なことにも存してゐよう。

既にこの土藏執筆説は「創られた亂歩像」であつて、宣傳廣告の爲にする作り咄だと知れてゐる。むろん火無き所に煙立たず、傳説なるものの常として噂の核となつたそれなりの事實性とやらを含んでゐても、それすら殆ど等閑視されたまゝ、今や專ら亂歩の實像を見損なはせる臆見ドクサとして退けられる爲にばかり土藏伝説が引合ひにされ出すのだ。遮蔽物たる表面の虚像を排除することで眞なる亂歩の素顏を發見する、といふ身振り。例へば先の山村正夫の亂歩論なら、亂歩に初對面した印象を引き寫し、

「[…前略…]終日、土蔵の中にとじこもり、深夜蝋燭の灯のもとで、血みどろな無残絵を眺めながら、数々の名作をものにされたという先生……それが、あのような学究者然とした風貌の持ち主だったとは……」*7

と云ふ具合に、傳説で想像して實際の亂歩に會つたらば意外や普通人で……と驚いてみせる回想は多い。[……]

[……]

即ち、土藏傳説に象徴される妖しい面を興味津々と取上げながら殊更に之を否定することによつて反面知られざる性質を強調する戰術。從來の傳説を否定的媒介にして眞説・江戸川亂歩(といふ傳説)を語る態度。……そんな辯證法まがひな意圖の現はれが、讀み取れよう。そこから、土藏そのものも隱れ家のイメージから轉身させられるわけで、近年、藏の中が現地踏査によつて實は分類整理された一大書庫だつたと明かされて、今度は「大脳のアナロジー」で「知の源」(荒俣宏*3)だと捉へられてゐるのだが――これまた「ぎつちりと重ねられた洋書の山でもわかるやうに」と書いた『寶石』創刊號以來の反復(リフレイン)であり、學者みたいな「博識の乱歩」等の線での神話化に收斂しつゝある。恐らく、現在進行中と聞く亂歩邸の藏書調査*14が完了した曉には、新たなる傳説が生まれてゐるのだらう……。全く、これほど盡きずに素材を提供して現在まで語り草となつてゐる〈作家〉もさうさうゐるものではない。

二面性といふトリック――ナルシス説

[…全略…]

〈藏の中〉の精神――亂歩=書物論の(いとぐち)として

何より「書物といふ鏡」に見入るナルシスである江戸川亂歩――。ここでも土藏傳説は象徴的だらう。少しばかりその解釋をやつておきたい。先づは事實關係を明らかにすべく『探偵小説四十年』*8によれば、〔昭和三年度〕下宿屋・緑館の開業に際して亂歩は別棟を増築し、自身の設計になる窓をなくしたその二階を私室とした。曰く「作家としての自分が無性に恥しく、岩屋の中へでもとじこもってしまいたいような気持ちだったから、それが自分の部屋の設計にも現われたのであろう。私が昼間でも雨戸を閉めきって、蝋燭の光で仕事をしているという伝説のようなものは、この部屋からはじまったらしく思われる」と。むろん傳説には事實歪曲があり、照明に電燈は利用してゐたが……。次に〔昭和八年度〕「緑館を売却・芝区車町に移転」した時、はじめて土藏を書齋とした。貸家を探すうち此處の洋室に改造してある土藏を氣に入つて借りたのである。因みに吉田謙吉「文壇考現學」に取材されたのはこの時の部屋だつた。そして昭和九年「池袋三丁目に移転」、亂歩にとつて生涯四十六軒目にして終の住處(すみか)となつた。やはり土藏つきでその「壁が厚く窓が小さく薄暗いところが気に入っ」て借り、内部に書棚を竝べた。但し〔昭和三十年度〕の仕事場の寫眞説明によるなら、戰爭中から執筆には使はなくなり「土蔵は表面上の書斎」にした由。――暗闇執筆説から土藏傳説への現場は以上であつた。

扨て、そもそも〈藏〉とは、亂歩に限らず大正から昭和にかけての時代に或種のイメージを宿したトピックとして流通してゐた。こゝに聯なる例には、長山靖生が述べるやうに*25あの「影と記號で出來た倉」である『黒死館殺人事件』(一九三四)を著した小栗虫太郎もさることながら、先づ屡その近似性を以て亂歩と竝び稱せられる横溝正史が擧げられよう。藏への指向は探偵小説家のみならず、遡ればその系譜上には亂歩が私淑した「文學の鬼」宇野浩二がゐる。大體、亂歩と横溝との親交は初對面で同じ宇野びいきだと知つた所から始まる位た*26。横溝の佳品「藏の中」(一九三五)も亂歩の連載隨筆「藏の中から」(一九三六〜七)も、もちろん宇野浩二の出世作たる名篇「藏の中」(一九一八)に因んだ題であつた*27。從つて四疊半的私小説にもつながる。……

これらに見られる土藏とはどんな存在か。海鼠壁に圍はれた日本土著の建造物であり、傳來の遺物を(しま)ひ込んである場所。そこから來る、古風さ、懷かしさ。また暗さ、妖しさ……。この形容は、亂歩作品の表象としても通用されてゐよう。だがまう一つ、〈藏)とは世間から隔離された空間であつたことを忘れてはならない。再び探偵小説に例を採ることになるが、夢野久作の狂人ものなどに見る如き「座敷牢のフォークロア」に於て精神異常者を監禁する私宅監置の場として土藏があつた*28。また亂歩の長篇『孤島の鬼』(一九二九)でも、土藏は密かに不具者(フリークス)を幽閉してゐた場所だつた。所が、この忌むべき〈藏〉に魅せられて進んで引き籠らんとするのが、亂歩らの見せる態度なのだ。わざわざ囚はれの有徴者アウトサイダーの位地に我身を置きたがるとしたら、いかにも倒錯した嗜好ではある。

しかし特に亂歩當人には自ら狂者に擬する意圖(つもり)も無いらしく、その『貼雑(はりまぜ)年譜』を見ると*29、新聞記事の妖人扱ひするやうな土藏傳説には却つて不愉快の感を洩らし、之をジャーナリズムの作爲として否認するやうな身振りがある。その昭和十二年の新聞記事切り拔き(スクラツプ)より亂歩の辯が窺へる。これなど記者が既成觀念(イメージ)を鵜呑みにはせず誠實な方だが。

「江戸川亂歩と言へば、すぐグロテスク趣味を聯想するのが一般の常識のやうになつてゐるやうですが、やつぱり今でも猟奇的な趣味をお持ちでせうか?」

[……]記者は最後の無遠慮な質問の矢を切つて放つた。

氏は、二度目のたぢろぐやうな表情を浮かべながら、

「いや。現在では殆んどそんな興味は失つてゐますよ。藏の中の書齋だつて、あれは外界から遮斷された靜寂の境地が欲しいからで、決して猟奇的な興味からではないのです。[……]」――「江戸川亂歩氏と語る」『新愛知』六月廿八日

因みにこの會見記(インタヸウ)は主に亂歩がジイドやドストエフスキイへの關心を開陳したもので、又「藏の中から(六)」では、本を竝べた土藏を、やゝ得意氣にモンテーニュの書齋とした塔の部屋になぞらへてゐた*30。即ち心持ち文人を氣取り、騷々しき俗世を避けて孤獨な思索者の夢想に專念せんが爲、閉め切つた藏の中に罐詰になるのだト――これが、外部社會から隔絶された〈藏〉の空間を自閉する場にしてゆく姿勢なのだとすれば、座敷牢といふよりいつそ柳田國男の「心の小座敷」と云つた事態が聯想されてしまふ。

[……]家の若人らが用の無い時刻に、退いて本を讀んで居たのも又その同じ片隅であつた。彼らは追々に家長も知らぬことを、知り又考へるやうになつて來て、心の小座敷も亦小さく別れたのである。――柳田國男『明治大正史 世相篇』*31

謂ふなれば、讀書體驗を通じ、閉ぢ込められる方の側から獨房の檻が精神の宿る個室へと轉換されたわけであり、逆に家長ら共同態(コミニユテイ)解體に反對する側からは、本ばかり讀んでゐたのではろくな人間にならぬとばかり、「都會に遊學してゐた村の秀才某が勉強のしすぎで腦病(ノイローゼ)になつて歸郷し、座敷牢に入れられてゐる」といつた學問の不要(女性や農村部の子弟にとつて)をめぐる傳説(フオークロア)が生みだされもして。つまり、忌むべき藏=讀書。……

加ふるに松山巖『乱歩と東京』で引用された、阿部次郎『三太郎の日記』「六、夢想の家」を重ねて想起して見よう。殆ど亂歩の土藏を想定せる如き記述ではなかつたか……。

特に、音響の侵入を防ぐため、夢想の家は石造でなければならぬ(石造と通気及び温度との関係は専門家に諮るより仕方ない)。少なくとも外界の威力を防遏して独立の世界を形成するに堪へるほどの威厳ある材料によつて構成されねばならぬ。(略)主要なる室には必ず次の間がある。次の間と廊下との境には重い扉があつて内から鍵をかけるやうに設備されてある。夢想の家に住む者は重い扉と次の間とを隔てて廊下の遠い音を聴きながら、外界の闖入を防禦したる石造の室にあつて読書し思索し恋愛するのである。*32


――右のくだりを松山は、亂歩「鏡地獄」(一九二六)の狂科學者(マツド・サイエンテイスト)から實在の狂人による怪建築「二笑亭」に絡めつゝ引合ひに出したけれど、どうも建築家たる松山個人の趣味に偏して亂歩を論ずる流れとしては適切になつてゐなかつた。更に二笑亭からは語呂合せ紛ひな飛躍した發想で亂歩の「蟲」(一九二九)へとつなげてみせた癖に、この作品中眞ッ先に著目すべき所をなぜか顧みてゐない。すぐ氣付く筈だが、當然こゝの文脈では「蟲」の主人公・柾木愛造が土藏に閉ぢ籠つて日を暮す厭人病者として登場する事にこそ結び付けて論ずるべきだつた。猶この主人公は亂歩の短篇の常として、宛も私小説の如く讀者に亂歩自身を思はしむるやうな設定の性格(キヤラクター)でもある(尤も、實際亂歩が土藏の書齋を持つたのは「蟲」發表の四年後だ。現實は小説(フイクシヨン)を模倣した?)

阿部次郎『三太郎の日記』(大正三〜七)とはまた教養主義の代表作、定番、必讀書として、餘りに有名だ。そして同時代の大正五年迄が學生期に當る亂歩なら、共通してゐるのは道理だ。[…以下教養主義に關説するは略…]

亂歩らは、都市空間の發展しゆく時代に在つて、反つて孤獨な精神活動に耽るべく外部から關與する他者を閉め出した密室を求め、自己の内面に沈潛する。その内閉を作動させる裝置が、取りも直さず藏書に圍まれた書物倉であり、謂はゞ讀書空間なのである。先の横溝正史「藏の中」にしても殆どメタ・フィクションもどきの作であり、書物を讀む−その書物の中の書物を讀む−そのまた中の……と、合せ鏡を覗くみたいな進行で讀む−書く行爲に意識的になつてゐ、やはり〈藏〉なるトポスと讀書の空間性とに何らか縁が有る事を暗示する。その意味で、土藏傳説が象徴的なのだ。單に閉所志向、胎内回歸願望(ヨナ・コンプレツクス)ときめつける理解など、所詮は下世話な心理主義を出まい。以下こゝより導かれる論點を幾らか記して、〈書物〉との關聯で見ておく。

[……]

〈藏〉の位相を考へてみるとよい。一般的に言つて、自分で獨占できる個室の確保は、默讀の、そして知的自立の、條件となる(外山滋比古『近代読者論』他)。而して日本式家屋の開放性はそれを妨げるト(阿部「夢想の家」もさう述べた)。但し日本にも「蔵型系譜」の書齋あり、とは同じ大正人・竹久夢二の例からの指摘だ(『日本人の生活空間』「書斎」の項)*37――正に亂歩はこれを裏付け、洋館ならぬ反つて和式な傳統の土藏でその條件を滿たしたわけで、これは密室を扱ふ探偵小説は日本では創作不可能だとした通説への挑戰とも一脈通ずる*38。更にこの個我の獨立に向かふ教養主義型實踐が、一方で隔離・監禁の場への所屬としてあつた事情からは、フーコー『監獄の誕生』に於る、例の主體化=從屬化assujettissementの逆説に重なる見當も付く。猶且つ、そこは亂歩の「生きられた家」(多木浩二)として、亂歩の自己、乃至その「精神」が表れた空間なのだ。

例へば[…以下略…]


文獻註

*2

山村正夫「幻影城の城主・江戸川乱歩」;絃映社『幻影城増刊 江戸川乱歩の世界』1975年7月;「わが懐旧的作家論」連載第7回,より.のち之を纏めた山村『わが懐旧的作家論』幻影城;幻影城評論研究叢書;1976:に收める際「アンチ・リアリズムの大御所=江戸川乱歩」と改題し,上の引用文中の「乱歩」は「乱歩氏」に改む。

『幻影城』は亂歩の同題の評論集に因んで命名された異色の探偵小説專門誌。1975年2月創刊,1976年3月號より發行元は絃映社から幻影城に變更,1979年7月號にて廢刊。編輯長・島崎博の文獻コレクションを生かして,特に書誌,史的展望,評論に寄與するところ大だつた.蓋し「探偵小説」の研究には必見なのである。

*3

荒俣宏「東京探偵小説作家の蔵――怪奇幻想の情報基地に踏み込めば」『開かずの間の冒険』平凡社;1991:より,初出;連載第5回「江戸川乱歩の倉」;平凡社『太陽』1989年11月號:の改題。參看されたし(その際は補註#1も併せ看るべし).

*4

種村季弘「亂歩のいた家」『夢の舌』北宋社;1979:.因みに初出は「乱歩のいた家」『別冊幻影城 5 江戸川乱歩』幻影城;1976年8月.

*5

色川武大「乱歩中毒」;青土社『ユリイカ』1987年5月號「特集 江戸川乱歩」所載.

*6

関川夏央「乱歩が最も愛した場所」;本文前出『太陽』特集「江戸川乱歩」卷頭:より.上掲*3をなぞつて亂歩邸に取材しただけで單に再確認なるのみ,しかもその前例・荒俣宏がやはり『太陽』初出だつたから、猶更安易に草された感が否めない.

*7

前掲*2の外,山村正夫『推理文壇戦後史 Ⅰ』双葉社;1973:→双葉文庫;1984:30頁でも同文を引く。基礎資料ともすべき『推理文壇戦後史』は,双葉社より『4』まで既刊,うちⅠⅡⅢは文庫に入れられた。文庫版では「まえがき」が省かれてしまったが,單行本刊行後の作家死歿を記事せる所を見れば補訂もしてあるらしい。猶校勘すべし。

なほ,*2と本書の記述とを合せて綴つたものが,山村正夫「江戸川乱歩略伝」;新保博久・山前譲編『乱歩 上』講談社;1994:である。こゝでもやはり同文を,但し一部加筆の上,引けり。都合三遍も自分の日記の引用で印象を示したわけだ。

*8

[……]

*14

光文社文庫に挾み込みのPR册子『文庫のぶんこ』第9號;1991年12月:に載った記事「江戸川乱歩の土蔵探訪記 江戸川乱歩の土蔵/暗闇の喚起力」によれば,「現在、全容をつかむため、ミステリー評論家の新保博久、山前譲氏が一月から週一回通って蔵書目録を作成しているが、いまだ終わる気配はないという……。」とのこと.

*25

長山靖生「結界の方へ――小栗虫太郎的場をめぐって」『近代日本の紋章学』青弓社;1992:128頁〜,參看されたい.初出;紀田順一郎責任編集『小栗虫太郎ワンダーランド』沖積舎;1990:の改稿.『近代日本の紋章学』は,澁澤龍彦の『思考の紋章学』に題名を肖り,『新青年』の探偵小説作家らを中心にした評論集.

*26

亂歩「宇野浩二式」『悪人志願』(1929)→『江戸川亂歩推理文庫48 仝』講談社;1988:162頁.及び『探偵小説四十年』「大正十四年度」*8前掲;43頁.雙方參照.

*27

なほ,武田信明「三つの蔵の中」;講談社『群像』1992年12月號:も看られたし.仝6月號の群像新人文學賞評論當選作「二つの鏡地獄――乱歩と牧野信一における複数の――」に續く武田の受章第一作として掲載.

*28

川村邦光『幻視する近代空間――迷信・病気・座敷牢、あるいは歴史の記憶』青弓社;1990:「Ⅱ 座敷牢と幻視する霊魂」參看. なほ川村には歴史社會學的な讀者論とも言ふべき好著『オトメの祈り――近代女性イメージの誕生』紀伊國屋書店;1993:あり.

*29

江戸川乱歩推理文庫・特別補巻『貼雑年譜』講談社;1989,「220」「324」及び「350」を參照せられたし.原典『貼雜年譜』は編年體スクラップ・ブックで,亂歩が自己に關する印刷物などの記録を收集せるもの.『探偵小説四十年』等で自傳的回想の資料としても活用され、知られる.因みに是は戰前分からのみ頁を取捨選擇して構成した影印版で,欄外にノンブルも附されず檢索や參照指示に不便なのだ.[……]

*30

『江戸川乱歩推理文庫61 蔵の中から』講談社;1988:所收「モンテーニュの塔」(1937)參看.なほ同じく未刊隨筆集たる『仝60 うつし世は夢』1987;161,2頁を見るに,所收の「池袋二十四年」(1956)にも亂歩は同文を拔萃する.が,初出誌名を間違へた上に原文とかなり異同があり,寫しが不忠實.

*31

朝日新聞社『明治大正史 世相篇』1931;第三章「家と住心地」第三節より=『定本 柳田國男集 第二十四卷』筑摩書房:1970;196頁. 同じ箇所を,佐藤健二『読書空間の近代』;#2前出:が第5章「メディアの近代――グーテンベルクの銀河系とともに」1節にて引用し,默讀の效果として「個の時間が空間的に析出してくるということ」及び「読者の主体化」を論じてもゐる.更にこれは川村邦光『オトメの祈り』終章の「心の小座敷」の節でも敷衍されてゐる.乞ふ參照.

*32

松山巖『乱歩と東京――1920 都市の貌』章;「逃走の実験」:PARCO出版局;PARCO PICTURE BACKS;1984:→筑摩書房;ちくま学芸文庫;1994:より,そのまま孫引き.松山巖『乱歩と東京』は,'80年代の都市論からする亂歩論の代表と目される著作.亂歩論といふよりむしろ作品個々の發表當時の社會背景を見るに急な憾みあり.

*37

それぞれ,外山滋比古『近代読者論』:前掲*16;49頁,阿部『合本 三太郎の日記』「六 夢想の家」:岩波書店;1918,梅棹忠夫・多田道太郎・上田篤・西川幸治共著『日本人の生活空間』朝日新聞社;朝日選書;1977:「書斎」の項,參看.

*38

笠井潔「密室という〈内部〉――江戸川乱歩」『物語のウロボロス――日本幻想作家論』筑摩書房;1988,參照のこと.但し謬見なしとせず.なほ初出は,幻想文学出版局『幻想文学』17號;1987年1月[季刊];連載「日本幻想作家論⑥」.

[補註]

#1

E・クリス&O・クルツ『芸術家伝説』(ぺりかん社・一九八九)によれば、藝術家の傳説は作品がそれを創造した作者の名に結び付けられる社會でしか生じない由。[……]


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▲刊記▼

發行日 
2002年10月23日 開板/2004年7月3日 改版
發行所 
ジオシティーズ カレッジライフ(舊バークレイ)ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/biblio/librotopos.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yousuke, 1995,2002. [livresque@yahoo.co.jp]
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