Voices of the Past 芳名録 〜2001.5

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森 洋介 - 01/05/25 22:50:00
件名: 右や左の旦那樣

コメント:
 カイヨワの『反対称』はいま確認できませんが、もともと象徴人類學で取沙汰する「右手の優越」を言ひ出したのはエルツといふデュルケム學派の俊才(1915夭逝)ださうで、同じフランス、しかもレリスやバタイユらと組んで人類學も學んだカイヨワのことですから、當然發想源としたのでせう。
 さらに自然科學寄りではマーティン・ガードナー『自然界における左と右』が有名ですね()。量子物理學において世界はやや左優位で對稱性の原理に矛盾があると發見されたとき、物理學者は「神が左利きのはずがない」と叫んだとか。科學者と雖も聖書的傳統が抜けないのが西洋人らしいところ。
 ところで。普請中のまま遲々として配架の進まないこの【書庫】。果して期待される程の内容が伴ふものやら。すみませんが氣長に見守ってやって下さい。



prospero - 01/05/24 21:30:35
ホームページアドレス:http://members.tripod.co.jp/studia_humanitatis/index.html
電子メールアドレス:shandy6@attglobal.net
關心分野: 翻訳
件名: 右顧左眄

コメント:
studia humanitatisのprosperoです。こちらもすっかり活況を呈されているようですね。こちらのページを改めて拝見して、配慮の行き届いた構成に再度讃嘆。興味ある項目が目白押しなので、これから続々とオープンしていくのを心待ちにしています。

左右の話、興味深く拝見。それで思い出しましたが、ダンテ『神曲』でも、地獄篇では左回りに降って行って(二箇所ほど例外あり)、煉獄篇では右回りに昇って行ったと記憶します。この文脈では、「左」=悪という聖書的伝統に乗っているわけです。

でも日本神話では、天照大神は伊耶那岐命の左目から生まれているし、注連縄は左巻きに縒るようですから、神道のほうでは左優位なのかもしれません。ところで、日本語の「ひだり」は、南面すると左が「日」の「出」の側だから「日出(だ)り」だというのは確かなんでしょうか。尤もこの伝で行くと、太陽神である天照大神が左から出てきたというのも上手く平仄が合うことになってしまいますが。



むらい - 01/05/24 03:19:26
件名: 右も左もbenjamin

コメント:
右と左--対称性、といえば、ロジェ・カイヨワ『反対称 --右と左の弁証法』(思索社、1976 →新装版 1991)など、面白いやもしれません。物理学/自然科学よりのお話なのですが。
ちなみに、この本では、右が特権をもっていない文明として「聖書の世界と中国」が挙げられているのですが(この「文明」って訳は妙ですな)…なんでも「聖書では、宇宙を四つに分ける概念が優勢である」とのことで。このあたり、どうなんでしょう?
また、訳注の「日本語における右と左」を発展させたものとして、訳者である塚崎幹夫「『右』と『左』の日本史を辿る」(「中央公論」1978.3 特別号)が挙げられています(未読ですが)。

それにしてもBenjamin。たしか、イスラエル十二支族のうちの一つの名前となったのでしたっけ?ユダヤ系の姓なんでしょうか。
ベンヤミンが「アゲシラウス・サンタンデル Agesilaus Santander」で、自分には(物書きになるかもしれない息子がユダヤ人だとすぐ分からないほうがいいと考えた)両親によってつけられた呼び名以外のふたつの名がある、でもそれを公表する気はない…と記していましたっけ。



森 洋介 - 01/05/21 00:40:43
件名: 右であれ左であれbenjamin

コメント:
 カントやメルロ=ポンティがそんなことを言ってをりましたか。それについては全然無知です。こちらこそ教はりたいものです。

 ところでbenjaminのこと。『パサージュ論』が未完となったユダヤ人にとっては姓(右)ですが、保險會社勤務の言語學者にとっては名(左)でした。かういふことって珍しくないんでせうか。



こば - 01/05/20 12:24:00
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
件名: 言を左右する2

コメント:
身体性を論じるときに、左右の対称のあり方を主題とする考察はよくなされているような気がします。
カントが空間性における左右対称の問題を手のひらを例にして論じていたと思います。純粋理性批判より前の論文だったと思いますが、読んでいてよくわからなかったのでこの辺りは教えてもらいたいものです。
ついでに、メルロポンティも身体性の現象学で左右のことを論じてましたかね。これについても教えてもらいたいです。

ショーレムはシャーロームから来てたんですね。こいつはいいことを聞きました。
シャーロームは元々completeness、充足状態を意味する単語で、そこから「平和」と訳されます。挨拶にこの言葉が使われるのは、主に平和、とか、あなたに平和、といった意味が含まれるんでしょうね。
名前ネタならもう一つ。以前アメリカにコーエン国防長官というのがいましたが、こいつはユダヤ系だとわかるわけです。というのは、ヘブライ語コーヘ-ンは僧侶、祭司、priestを意味するからです。確かユダヤ神秘主義が出てくる映画『π』の主人公もコーエンだったと思いますが。
右左と南北が重なるのは、太陽に向く、という習慣と神殿の位置付けも関係してると思います。



むらい - 01/05/19 16:14:57
件名: そういやウォーフもベンジャミン

コメント:
こばさんと森さんのおはなし、興味深く読みました。

「右の優越」は、常々謎に思うところ。仏教でもイスラムでも左が不浄とされるのは…どうしてなんでしょうね。トピックに対してはwhyではなくhowであれ、とは思いますが、何故?と言ってばかりです。

サピア-ウォーフの仮説--人間は言語相対性原理に縛られ、異なる言語の話し手は事物の認識の仕方を異にする、という説--ですが。
認知言語学の、人間の身体性・認知能力が言語の可変性にどのように制約を加えどのように動機づけをあたえるか、といった観点から、批判がなされていますね。このあたりのことは池上嘉彦訳 B.L.ウォーフ『言語・思考・現実』(講談社学術文庫、1993)の訳者解説+学術文庫版訳者解説追補で少しばかり概観できるかと。

名前ネタでひとつ。
ベニヤミのお友達、ショーレムの名は、ヘブライ語の挨拶「シャローム」に起源するとか。なんでもユダヤ系移民であった彼の父だったか祖父だったかがコトバを解さないために、名を尋ねた役人に「シャローム」と挨拶をした…のがそのまま登録されてもうた、そうで。
でもまあ、この話は「薩摩芋は、九州では大陸からきたので唐芋、中国ではジャガタラからきたのでジャガイモだ」と教えてくださった方からうかがったものなので、ちょっと楽しい小噺なのかもしれませんが。



森 洋介 - 01/05/18 17:57:42
件名: 言を左右にする

コメント:
 ヘブライ語において左手・右手といふ身體に即した相對的な方向指示語が南北といふ絶對的方向指示語と一對一對應するといふのは興味ある事例です。といふのも、マヤ語族のツェルタル語のやうに「右」「左」に該當する語が無い言語があって、サピア−ウォーフの假説(言語相對説)を檢證する格好の例とされてゐるからです。ツェルタル語では絶對方向指示語も東西南北ではなく「丘上」「丘下」といふ居住環境に即した表現なのだとか。
 言語相對説に從へば、このやうな言語の話者は、左右といふ概念を持たぬ以上、自分を座標軸にした相對的な空間認識をしない筈です。右手のシンボリズムもツェルタル語人には通用しないのでせうか。
 井上京子『もし「右」や「左」がなかったら――言語人類学への招待』(〈ドルフィン・ブックス〉大修館書店、1998)といふ本もあります。



こば - 01/05/16 17:43:00
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
件名: 聖書の神は右利きらしい

コメント:
神が右利きらしいことを示す聖書の典拠ならば、沢山あります。2,3挙げてみると、「主よ、あなたの右の手は力によって輝く。主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く」(出エジプト15:6)、「あなたは、、、右の御手をもってわたしをとらえてくださる」(詩篇139:10)、「わたしの救いの右手であなたを支える」(イザヤ41:10)
「左手」(シェモール)という言葉も勿論聖書に見受けられますが、大抵右手とセットで書かれていて単独ではほとんど使われません。
右手のみならず、右はそれ自体良い意味で使われるようです。キリストが昇天すると神の右の座に着く、という福音書の記述(マルコ12:36など)は、詩篇110:1から引用されたものです「わたしの右の座に着くがよい。わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう」
正確に聖書の神が右利きかどうかはわかりませんが、少なくとも右手と力強さは密接に結びついて使われているようです。

因みに、ヘブライ語の右手は同時に南を、左手は同時に北を意味します。つまり、東を向いて方角を決める習慣があったようです。太陽の関係からではないか、と思います。



森 洋介 - 01/05/16 02:13:56
件名: 私の神は左利き♪

コメント:
 へえ、面白い。「右手は神の右手だと」――何か典據があるんですか? あ、でも楳圖かずおは『神の左手悪魔の右手』(小学館)でしたねえ。
 さういへば人類學の方で「右手の優越」って論文がありましたが(古野清人『原始文化の探求』白水社→野村書店、所收)。



こば - 01/05/15 00:12:20
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
件名: ベニヤミン

コメント:
ベンジャミン、ベンヤミン、ときたら、時代に逆行して私は「ベニヤミン」を思い浮かべてしまいます。
創世記35章、ヤコブとラケルの子、(ヘブライ語で表記してみたいなあ)、元々の意味は、ベン(息子)、ヤーミン(右手)、で「右手の子」となります。右手は神の右手だと力強さを表すことから、「幸福の子」という意訳が生まれてくるわけです。
それにしても、ベニヤミンはラケルが死ぬ直前に生まれた子なので、母親に「ベンオニ」(私の苦しみの子)と名づけられそうになったそうです。そうしたら、「ヴァルター ベンオニ」なんていう物々しい名前が生まれていたのでしょうかね?



むらい - 01/05/14 23:19:46
件名: ゲヴァルト/ヴァルター

コメント:
成る程。ベンジャミン、とは愛らしい。

私の場合、デリダが『法の力』--ベンヤミン『暴力批判論』読本--にて、暴力-Gewalt-ゲヴァルトとベンヤミンの固有名-Walter-ヴァルターの言葉遊びをしていたのがイメージの幹でして。Gewaltを表記/表音するならば、「ゲワルト」よりも「ゲヴァルト」--濁音+摩擦音のために--がふさわしいかと。でもまあ、場合によっては「内ゲワ」「ゲワ棒」としたほうが、ぐんなりしちまってよさそうですけど。
…こうして、ベニヤミンやらバンヤマンやらへ翻訳されゆくことこそ、ベンヤミンにとっては望むところなのでしょうね(と、オチへの試み)。

ところで、縦書き実験。…不評、とは?
私は「これまたオツな」と好感を覚えたのでして。
言葉足らずで失礼を。



森 洋介 - 01/05/13 22:25:00
件名: ウォルター・ベンジャミン

コメント:
 むらいさん、ご指摘感謝します。「ヴァルター・ベンヤミン」に訂正しました。この間違ひ、前にも注意されたことあるのですが……粗忽の限り。
 實は、蓮實重彦の何かの坐談會での發言が、妙に頭に殘ってゐまして。曰く、少し前まで名も知らなかった癖にフランス人が急にバンヤマン、バンヤマンと言ふやうになった、と。で、私は英語ヨミで「ベンジャミン」と呼んでやることにしてゐます。するとあの憂ひ顏のドイツ人が何だか氣のいいアメリカ人みたいに思へてくるから不思議。
 ヴァルターでなくばワルターか――ドイツには表記上vとwを區別しなかった時代があった筈。現在もカナ表記ではマックス・ウェーバーだったりヴェーバーだったりします。いっそワに濁點(ワ゛)式を復活しますか。
 ところで、どうも不評のやうですね、縱書き實驗()は。



むらい - 01/05/13 02:03:11
【書庫】を知ったのは: 檢索で
關心分野: 言語学
件名: 縦書きのベンヤミン

コメント:
むらいともうします。お邪魔いたします。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/benjamin1.htm にて、「ウォルター・ベンヤミン 曰く…」となっておりますが、お気づきでしょうか。
それにしても、縦書き、とは。
以前、ことごとく横書きのものばかり読みこんでいた時期に、ふと縦書きのものを読み、目に違和感といいますか、不思議な感覚をおぼえたことがあります。縦書き/横書きでつくられる身体、って…?
…上から下へ、左から右へ、といった視線運用に関してなにか蓮實シャンタルさんが書かれていたような(『反=日本語論』のあとがき、でしたっけ)。手元に本もみあたらず、なんともおぼろげな記憶でもうしわけないのですが。



森 洋介 - 01/05/10 22:58:46
件名: 机龍之助

コメント:
 『大菩薩峠』、ね。あんな長いもの、全部讀むこたぁありませんよ。第一卷だけでもいいんぢゃありませんか。きっと無辜の老爺を理由もなく斬り殺す主人公のニヒルっぷりが堪能できるでせう。
 後の方になると性格[キャラクター]は變ってくるし、そもそも誰が主人公やらわからなくなる大風呂敷な展開だって云ひますし(と、讀んでもゐないのになぜか梗概を知ってゐる私)。



國府田麻子 - 01/05/08 01:21:27
電子メールアドレス:asako-k@f2.dion.ne.jp
件名: 嗚呼。

コメント:
森さん、こんばんは。
なんだか連休明け初日から疲れています…、のでやって来ました。今日(否、昨日)は件の発表があり、ドクターの先輩に厳しい質問をいただき、グッタリ。来週は谷崎の「デカダンス思潮」について皆の前で話す、と云ってしまったので、プラーツの『肉体と死と悪魔』なんかに言及しようかな、などとぼんやりと思っています。其れにしても、来週の月曜は発表のダブルブッキング。院とはこんなに忙しいものなのですね…。と愚痴を聞いて貰いに伺ったわけ、ではないのですがそうなってしまいましたね。スミマセン。そうだ、池袋駅の構内に古本屋さんのワゴンが出ていたので『中里介山全集1』なんかを思わず購入してしまいました。『大菩薩峠』…。こんな“カケラ”を買ってどうするのでしょう。たったの一巻じゃなんの役にも立ちませんわ。でも初版で¥200だったからいいや。
では。



森 洋介 - 01/05/03 12:30:00
件名: 書誌學とは讀まぬことと見つけたり

コメント:
 だから私の知識なんて、そんな大層なものぢゃありませんってば。
 本を讀む場合、まづ目次を一瞥して大體を捉へ、註や參考文獻よりその論の對象や傾向を窺ひ、索引から要點を摘み讀み、……なんてことはよくやるでせう? まへがきとあとがきだけ「讀んだ」本も多いのでは? 即ち、必ずしも中味全てを通讀せずとも濟ませられるわけです。
 同樣に、インターネットも書物のつもりで接すれば、一々各ページに當らずに、檢索サイトやリンク集を活用することになります。
 學問めかしていへば書誌學(乃至圖書館學)的手法。書誌學的知識とは、極言すれば、「知ってるつもり」です。外形的・概括的知識であって、肝心の内容をちゃんと讀んで知ったわけではないのですから。これを「博識」と稱して可なりや。
 書誌學的志向を有する者として、私がインターネットを始めたのも書籍檢索からでした。で、たとへば「図書館・情報学関連のリンク集」(#)とか「書籍・出版関連総合情報」(##)といったリンク集が見つかります。そこを入口にリンクを辿って、芋づる式にお氣に入りのページを探していった次第。――斯くてネットで得た知識と雖も書物に關せざる無しと觀念すれば、それは新たな圖書への導きであり、讀書生活に還元されるでありませう。ネットと讀書とを對立させずともよいのでは。
 # http://www2d.biglobe.ne.jp/~st886ngw/url/url.htm
 ## http://web.kyoto-inet.or.jp/people/namaste/book_l1.htm



こば - 01/05/03 00:49:15
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
件名: ネット生活

コメント:
森さん。こんばんわ。
山口昌男の件、ありがとうございました。教えてもらったブックコンテンツ検索は面白いです。色々と遊べるかも。
國府田さんも入ってきて「記帳所」も俄然活況を帯びてきましたね。これから「大入り」になれば森さんも大忙し。栄えあらんことを。
森さんはネット上の知識も沢山あって、いつも教えてもらっているばかりで非常に有難いです。
それでつかぬ事をお尋ねしますが、森さんは一日どのくらいネットに接しているのですか。ハマりすぎることはないですか。自分はハマると抜け出せなのでちと恐いです。どうも本も読む時間までネットに使いそうで。大学に入学した当時サークルと勉学の両立などということが口喧しく言われましたが、僕としてはネットと読書の両立のほうが大問題です。



國府田麻子 - 01/05/02 18:52:01
電子メールアドレス:asako-k@f2.dion.ne.jp
【書庫】を知ったのは: 一口には云はれぬ
關心分野: 日本近代文學(谷崎どん)
件名: 有り難う御座います。

コメント:
森さん。
父方の祖父が亡くなりましたが、日曜には葬儀も終わり今は落ち着いております。お気遣い、有り難う御座います。
「…」の件、私は何となくその場の雰囲気で使い分けています。メール、書き込みでは「・・・」「。。。」を使ってしまうことも多いですが、いざ自分の書いた文章が掲示板に載ったのを見ると、「・・・」や「。。。」は少々間抜けな感じが致しますね。パソコンで書いた文章にも、人それぞれの「癖」があって面白いですネ(でも、校正のお仕事をなさっている森さんにとっては嘆かわしいことですか?「・・・」などは、ウェブ風紀の乱れ、でしょうか?)。
励ましていただいて感謝です。花を買って親しむ“連れあい”はおりませんが、優れた論文の「読み手」となって頑張ってみたいと思います。
では。



森 洋介 - 01/05/02 17:50:21
ホームページ短縮アドレス:http://y7.net/bookish
件名: RE:ご挨拶。

コメント:
>國府田さん
 掲示板「口舌の徒のために」(http://www2.realint.com/cgi-bin/tbbs.cgi?humanitas)ではご不幸がおありとおっしゃってゐましたが、もう落ち著かれたのでせうか。

 敬稱が「さま」でないと氣になりますか。きっと育ちが良い方なのでせう。當方、基本的な敬語すら使ひ慣れぬ位なので、俗談平話にて御免下さい。
 「博識」だなんてとんでもない。私のは知ったか振りといふものです。博識なのは、私が參照する本の著者たちの方です。私はたゞそれを讀むだけ。しかも積ん讀多し……(←ところで、三點リーダー「…」を中黒「・」三ヶや句點で代用するのは、もはやウェブ上の慣用となってしまったのでせうか)。
 友が皆 我より偉く見ゆる日よ――啄木でしたっけ。これから論文書く身とすればお困りでせうが、「讀む」立場としてみれば、自分より優れた人々が近くにゐて學べる環境は羨ましい限り。教へられる所の多いレジュメや論文を讀ませて貰へるわけでせう? 私も讀みたい……。



國府田麻子 - 01/05/02 14:21:33
電子メールアドレス:asako-k@f2.dion.ne.jp
【書庫】を知ったのは: 一口には云はれぬ
關心分野: 日本近代文学(谷崎クン)
件名: ご挨拶。

コメント:
森さん(←「さま」じゃなくて!?)。
此方では初めまして、の國府田です。「口舌」では、いろいろご教示いただき、有り難う御座いました。森さんのところにも遊びに参りました!やや!!先客にこばさんが・・・。驚きました。。「身軽」ですね。
森さんは、日本文学にも博識でいらっしゃるのですね。また何かお教えくださいませ(抽象的過ぎ。。)。

ワタクシは大學院に入ったものの、なんだか周りの友人達が偉く見え、早くも“落ちこぼれ”になりそうな勢いです。

「こんなコト云われても、困っちまう」でしょうが、何かよきアドバイスなどいただけませんか?國府田に景気をつけてやってくださいませ。

では。



森 洋介 - 01/04/28 03:00:00
件名: RE^2:山口昌男

コメント:
>こばさん
 山口昌男は本來(文化)人類學者です。神話學者といふのは大林太良や吉田敦彦みたいな人でせう。『「敗者」の精神史』『「挫折」の昭和史』の謳ひ文句は「近代日本の歴史人類学」でした(こじつけ臭いけれど)。
 繰り返しますが、『知の自由人たち』が取り上げたのは「思想家」といふより好事家です。ディレッタントであり、市井のアマチュアであり、よくいって「民間学者」(鹿野政直)であり、即ち「近代日本において、西欧の思想が如何にして取り入れられていったか」といふやうな學問の表通りからは外れた領域にあったマージナル・マンであり、故に「世間的にほとんど知られていない」のであり、さうした人物たちの人脈相關圖(曰く「知のネットワーク」)を描いたものです。しかし古本漁りの趣味ある者ならば必ずや思ひ當る所ある名前なのです。
 從って丸山眞男のやうな眞面目っぽい思想史研究とは殆ど交はるところがありません。山口の謂ふ「敗者」とは端的には明治維新時の賊軍側を指します。文學者や出版人など文化を擔った人物は、薩長よりも幕臣の子弟や佐幕派の藩出身が多かったので、これを「敗者」と稱した次第。但しこれは山口の創見でなく、夙に木村毅の指摘するところでした(『明治文学夜話 新文学の霧笛』至文堂選書、1975)。
 なほ、書名だけからでは見當がつかない時は東大附屬圖書館のブックコンテンツ(http://contents.lib.u-tokyo.ac.jp/contents/index_j.html)で檢索すると、目次や内容情報(要旨・帯・カバーからの情報)もデータベース化されてゐて便利です。



こば - 01/04/26 00:52:51
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
件名: 近代日本の知の輸入業者たち

コメント:
>森さん
山口昌男は元々神話学研究をしていた人ですよね?『本の神話学』(中公文庫)といったタイトルはそれなりに魅力を感じます。
ですが、『知の自由人たち』の目次を見てみると、何が書かれているのかさっぱり見当がつかない。ですので、具体的に何に興味を持ったのか、と尋ねられると、ちと困ります。
ただ、その「わからなさ」が引っかかったようです。考えてみれば、近代日本において、西欧の思想が如何にして取り入れられていったか、といったことについて、わたくしの無知もありますが、世間的にほとんど知られていないような気がします。その意味でも山口の仕事は大きいのだろう、と思います。
『「敗者」の精神史』といった題名から推察致しますに、丸山眞男『忠誠と反逆』(ちくま)は大いに関係してくるのでしょうか?



森 洋介 - 01/04/24 17:43:02
件名: RE:山口昌男

コメント:
>こばさんへ
 『知の自由人たち』は新書判ですから、NHKブックスではなくNHKライブラリーですね。「思想家」といふより好事家たちの系譜といふ氣がします。
 「詳しい」といふ程のことはございませんが、『「敗者」の精神史』『「挫折」の昭和史』(岩波書店)に始まり先だって刊行された『内田魯庵山脈』(晶文社)に至る一聯の山口昌男の仕事が大いに我が關心に訴へるものたること、ご明察の通りです。しかし、ナゼそれがばれましたか。匂はせるやうなこと、どこかに書きましたっけ?
 で、あの本を見て、どういふ關心からどんな人物に興味を持たれたのでせう。仔細を伺はせていただけますか。



こば - 01/04/23 15:54:43
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
件名: 山口昌男

コメント:
>森さん
どうも、studia humanitatisでは丁寧な人たちが多いので、言葉づかいが移ってしまいます。
そうです。ベンヤミンのところです。でも、縦書きの件、エクスプローラーで試してみます。
この前、古本屋で、山口昌男著『知の自由人たち』(NHKブックス)というのを見かけたのですが(題名が正確かどうか。。)、日本近代の思想家たちが取り上げられていて、でも聞いたことすらない思想家ばかりだったのです。山口昌男と特にこの本について(もし読んでいたら)教えてもらえませんか。森さんならその辺りのことがお詳しいかと思いまして。



森 洋介 - 01/04/22 16:05:18
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/benjamin1.htm
件名: 縱書き

コメント:
>こばさん
 縱書きが讀み辛いって、一番最初の表紙のことではありませんよね? 表紙は一部分しか縱書きにしてゐませんから。もしあれすら讀み辛いと云はれると困るのですが……。
 全面縱書きにしたのは今の所ベンヤミンに関する註の頁だけですが、あれのことでせうか。實驗中のまま放り出してしまったものゆゑ讀みにくいのも道理。今少しは讀みやすくなるやう改良致しましたが如何でせう。
 なほ縱書きの箇所は、インターネット・エクスプローラー5.5以外で閲覽すると普通の横書きに見えます。

追伸:森「様」は私にはチトていねい過ぎます。ここでは「さん」でゆきませんか。



こば - 01/04/21 14:36:17
件名: 個人的に。。

コメント:
わたくしは本ページの内容が全然分からないので、要望というほどの要望ではないのですが、書式設定について。
森様の日本書籍に対する並々ならぬ熱意がひしひしと伝わってはくるのですが、現実問題として縦書きは凄く読みづらいです。できれば横書きの方がよろしいか、と。



森 洋介 - 01/04/16 22:06:38
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/notes/apology.htm
件名: RE:初めまして

コメント:
 管理人の森です。こばさん、はじめまして。
 こちらに書き込んでいただけたとは。
 ご覽の通り、當【書庫】はまだ全然作りかけで内容は空に等しいのです。失望されたのではありませんか。本當はきっちり作ってからでないと公開に値しないのですが、ウェブページ作成の初學者なため、「普請中」といふことで、試驗を兼ねてアップロードしてゐます。
 私個人の物置を兼ねてをり、そのうち文書を放り込んでゆくつもりですが、ご要望がありましたら伺はせて下さい。



こば - 01/04/15 10:18:49
電子メールアドレス:veritasinvino96@hotmail.com
【書庫】を知ったのは: リンクから
關心分野: 哲学、神学
件名: 初めまして

コメント:
studia humanitatisに投稿させて頂いております「こば」と申します。以後お見知りおきを。



管理人 - 01/04/01 00:00:00
ホームページアドレス:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/index.html
電子メールアドレス:livresque@yahoo.co.jp
件名: ご挨拶

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【書庫】芳名録 > 保存庫 > 〜2001.5▲刊記▼

發行日 
2001年6月 開板
發行所 
ジオシティーズ カレッジライフ・ライブラリー通り 1959番地
 URL=[http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/1959/History/guest2001_05.htm]
編輯發行人 
森 洋介 © MORI Yousuke, 2001. [livresque@yahoo.co.jp]
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