『變態心理』17巻4號(一九二六年四月)に〈心靈界春秋〉なる欄があり、「靈媒に依る『物品引寄』實驗會を監視するの記――一喝の氣合で出羽の國から三尺の刀劍を引き寄せるといふ――果して我等は何を觀取したか――」といふ記事が載ってゐます。筆者はヒロミ生こと北野博美*1。
靈媒は御嶽行者の品川守道なる人物。實驗會の主催者は淺野和三郎。大本教に騙されてもまだ懲りないらしく心靈科學研究會を主宰してゐたが、輕信にも、この超能力が學術的審査に耐へ得るものと思ったか、主婦之友社と科學畫報社の後援で實驗會を催すことになった。そこで大本批判の舊敵『變態心理』關係者も招かれたやうなのです。結構、當時の有名人士が參加してゐます。
結局、厳密な監視下では物品引寄はならず、淺野と行者は日を改めてやり直すと言ひ出した。しかし一週間後のその日も、行者の爺さんが幾ら神憑りになって頑張っても中々刀劍は出現しない(當り前ですが)。そこで監視役の一人、沖野岩三郎が口を出した。――これ以上待ってもあの爺さんを苦しめるだけで、可哀相だ。來會者に謝罪してもう止めるべきではないか。わしはこんなところで出もしないものをボンヤリ待ってゐるよりも、河合ダンスを見に行きたいのだ――云々。流石は(元?)牧師らしく人道主義で老人を憐れみながら、暗に失敗を認めて閉會せよと説いたワケです。
すると後から「河合ダンスへ行きたいなどといふのは非紳士的態度だ」と吼える聲があった。これは吉岡信吉といふ人だったと。
河合ダンスってなんなのだらう……それはともかく。
ここまでは、ちょっと滑稽な話だといふに過ぎません。ところが最近、沖野岩三郎『迷信の話』(恒星社厚生閣、1951.2)を見てゐて、この時のことを回顧した文章が收められてゐるのに氣づきました。これで北野博美の記述を補へます。中でも注目すべきは、沖野曰く「[……]この研究と河合ダンスを一つにするとは失敬千萬だ、と言つて怒號した男があった。見るとそれは當時有名な早稻田の野球應援團長吉岡彌次將軍であつた」。
では吉岡信吉とは、吉岡信敬のことだったか! 勿論、横田順彌がしばしば取り上げる、あの天狗倶樂部の名物男にほかなりません。『〔天狗倶楽部〕怪傑伝』を引くと、吉岡の項には「本名・のぶよし」とありますから、間違ひありません。
照合してこの沖野の記述に行き當った時の悦び、おわかり戴けませうか。極ちょっとした發見に過ぎませんが、かういふ悦びがある限り生きてゆけるなあ、などと感慨暫し(尤も、それでメシは喰ってゆけませんが)。
しかし吉岡野次將軍、どこにでも顔を出してゐたんですなあ……。
因みに沖野によれば、河合ダンスとは「帝劇へ大阪から來てゐ」たものの由*2。
それから實驗會の方ですが、小熊虎之助*3の身體檢査によって服裝の下に佛像と鏡を隱し持ってゐたことを暴かれたので、品川行者は逃げるやうに「神の方にも都合がある、今日はもうこれで終りであるぞ」と宣うた、とか*4。
(二〇〇〇年十月五日稿、友人宛書翰中より)
03-05-10・04-06-15追記:北野博美に就ては近年研究が進められてゐる。下記文獻參照。
02-08-26追記:肥田晧三「昭和大阪モダニズムの華 河合ダンス物語」(『大阪春秋』第102号「特集・おおさか昭和モダニズム」所載)を入手すべきか。永井良和も何か書いてゐるかもしれない。
04-05-24追記:趙心理學者。經歴や著作一覽は、『夢と異常の世界 小熊虎之助鶴寿記念文集』(小熊虎之助先生満八十歳祝賀会実行委員会、1969.2)を參照すること。
06-09-13追記:これには淺野和三郎も呆れたやうだ。「品川行者の物品引寄実験記」(心霊著作保存会のサイト『心霊図書館 心霊文献集』に飜刻)參照。